飯田線

飯田線

[1] 飯田線 (いいだせん)

Webページ

[2] 飯田線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A

飯田線(いいだせん)は、愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。

[3] 飯田線 渡らずの鉄橋 (第六水窪川橋梁) JR Iida line a bridge crossing river twice, , http://www.youtube.com/watch?v=oNTK8SSIz7U

JR飯田線城西駅通過から,渡らずの鉄橋として有名な第六水窪川橋梁まで。2011年6月18日撮影。

Passing Shironishi Station in JR Iida line, approach to No.6 Misakubo River Bridge, which crossing the river twice, namely not crossing the river.

[4] ミニレポ第220回 飯田線(三信鉄道) 我科駅跡, , http://yamaiga.com/mini/220/main.html

【周辺図(マピオン)】

飯田線の温田(ぬくた)駅と為栗(してぐり)駅の間に、かつて我科(がじな)駅があった。

開業日は昭和11(1936)年4月26日で、私鉄の三信鉄道が温田駅から満島駅(現:平岡駅)まで延伸されたその日に、為栗、遠山口(現在は廃止)の両駅と共に設置された由緒ある開業初期の駅だった。

だが、開業からわずか6年後の昭和18(1943)年8月1日に、我科駅は廃止される。

この日は、三信鉄道を含む4社の私鉄線が一斉に国有化され、豊橋〜辰野を結ぶ全長195km余りの国鉄飯田線が誕生した日である。

我科駅があった場所は、豊橋起点から100.9kmの地点で、 隣接する温田駅から1.3km 、為栗駅から2.4kmの距離だった。

随分と駅間の狭いことに驚きを覚えるが、私鉄由来である飯田線は元よりローカル線としては駅間距離の特に短い事で知られており、全長195.7kmに94もの駅が置かれている。そこから導き出される平均駅間距離は2.1kmで、これは東京近郊を走るJR横浜線(全長42.6km、駅数20)に近い。

ご存知の通り、飯田線沿線の人口密度は全国的にも低い水準であり、その割に駅間が短いのだから、この路線に多数の「秘境駅」が出現しているのも頷ける。

もっとも、この温田〜我科の駅間距離1.3kmというのは飯田線の水準で見ても短距離であり、東京都心にあるJR山手線(34.5km、29駅)の平均駅間距離に近い。山手線の一駅程度なら、現代人の我々でも歩いていいかなと思える。そんな立地条件が廃駅の理由になったかは、資料もなく定かで無いが、とにかく我科駅は国有化に伴って必要性を篩(ふる)われ、あえなく棄てられた。

なお、『飯田線百年ものがたり』(平成17(2005)年/新葉社)によると、昭和18(1943)年の飯田線国有化に伴い廃止された駅は我科だけではなかったようだ。

このときの廃止駅は、柿平、池場、三信上市場、早瀬、我科、開善寺前、気賀、高遠原、伊那赤坂、大田切、入舟、西町、船町と、伊那電気鉄道に属していた区間を中心に多数あった(三信鉄道区間では我科のみ)。さらに、昭和20年から25年にかけてこの廃止駅の多くが復活を果たしており、未だ廃止されたままなのは、開善寺前、伊那赤坂、入舟、それに我科という少数に過ぎない。

我科駅の所在地を地図上で見ると、右図の通

[5] 飯田線の不正乗車について。 - Togetterまとめ, , http://togetter.com/li/620250

一部の呟きが割とRT伸びてて、説明が面倒になりそうだったので作成。

3~4年前の出来事ですが、こういうことも実際にあるんだよ、と言うのを知って頂けたらなと。

by as285e

[6] 道路レポート 町道 半場神妻線, , http://yamaiga.com/road/ootuki/main.html

平成25(2013)年3月15日撮影の原田橋。平成27年1月31日に写真左の法面が大崩落し、主塔ごと橋を天竜川へと沈めた。原田橋は昭和31(1956)年に完成した古典的な自動車用吊橋で、事故当時も老朽化を理由に8t車以上通行禁止、片側交互通行などの制限が行われていた。また隣接地では新橋の建設が進められていたが、新橋も被災し、工事再開の見通しは立っていないという。

【周辺図(マピオン)】

今年(平成27(2015)年)1月31日、浜松市天竜区佐久間町にある国道473号の原田橋が土砂崩れのために突如落橋し、検査のため橋上にいた浜松市の職員2人が橋ごと川に転落して死亡するという大きな事故が起きた。

この事故によって国道473号の佐久間町中部と川合の間は全面通行止めになり、レポートを書いている3月13日現在でも本復旧に至っていない。

報道されているところによれば、事故から12日後の2月12日に仮設道路が開通して以来、普通車の通行は可能となっているようだが、未だに歩行者や二輪車および大型車は通行出来ず、例えば大型車が同区間を行き来するためには75km、2時間半もの大迂回を強いられるという。しかも本格的な復旧の見通しは未だ立っていないらしく、数年を要するのではないかと思う。

この不幸なニュースに触れたとき、私は2年前に探索した、とある小さな廃道のことを、真っ先に思い出していた。

あの道が今ももし“生きて”いたならば、大型車とまではさすがにいかないものの、歩行者や2輪車は便利に活用できていただろうなと思った。

或いは今頃、町にはこの道の復活を現実に考えている人がいるかも知れない。

その道の名を、「町道 半場神妻線」という。

町道半場神妻線は、現在の地形図(地理院地図)では破線で描かれているに過ぎないが、その位置は原田橋の迂回路として、これ以上を望めないほどに適しているように見える。

報道では迂回路として現在、天竜川南岸の遙か山上を経由する佐久間林道に白羽の矢が立っているようだが、どう考えても歩行者や自転車には優しくないルートであろう。

原田橋のある国道が、天竜川の北岸(左岸)から同川を渡って支流大千瀬川沿いの川合へ向かうのに対し、町道半場神妻線は天竜川の南岸(右岸)から神妻沢を渡って直線的に川合へ入っており、距離的にも国道より500mくらい短い。しかも地図を見る限

[9] 飯田線各駅停車【城西駅】, , http://www.green.dti.ne.jp/iida/kt/s35siro.html

相月から水窪にかけて、電車は国道152号線と並行して北上して行きます。この城西は国道に面した駅で、駅周辺にも意外と民家が多く見られます。もともと交換駅であったため駅員が配置されていましたが、1984(昭和59)年2月24日の南部CTC化と共に無人化されました。しかし今昔を通して花の美しい駅で、とりわけ春の桜とツツジがきれいです。

さて城西といえば飯田線名物と呼ばれる「S字橋」こと第六水窪川橋梁の話が欠かせません。

この橋は「渡らずの鉄橋」とも呼ばれる全長400.7mの飯田線最長の橋梁で、水窪川に沿って掘削中だったトンネルが、中央構造線の断層による地殻変動で工事を進める傍らで次々と崩壊したため、危険回避の為にトンネル掘削をあきらめ、水窪川の上を橋梁で迂回する形で竣工にこぎつけた苦心の賜物だったのです。掘削途中で放棄されたトンネルは地殻変動で完全に崩れ去り、落石覆いの一部が残るのみです。鉄橋の写真を撮りに訪れる鉄道ファンは昔から多く、駅無人化前はファンの作品が待合の中に飾られていました。

駅前を通る国道のやや相月寄りには、地元の特産品を売る売店が建てられ、地元の人やドライブ客の人気を集めています。

※2005(平成17)年6月30日まで駅所在地は「静岡県 磐田郡

佐久間町」でしたが、2005(平成17)年7月1日の静岡県西部12市町村の広域合併により浜松市、さらに2007(平成19)年4月1日の政令指定都市移行により浜松市 天竜区 佐久間町となりました。

●S字橋撮影地:駅前の国道を水窪方向へ徒歩約5分

【駅写真撮影:2002/09/08】

[10] 廃線レポート 飯田線旧線 旧第一久頭合隧道, , http://yamaiga.com/rail/iida_misakubo/main2.html

2009/1/25 7:00

予想外の展開となった。

昭和52年に「変状」によって廃止されたという「旧第一久頭合隧道」の南口は、産廃処分場の一部となって確かに存在していたが、最新の地形図上では未だそこを線路が通っているように描かれていたのである。

つまり、現実には地形図にないところを線路が通っていることになる。

残りさほど長くはないと思うが、その新旧線合流地点を求め、芋掘地区対岸の旧線路盤を前進する。

歩き始めると間もなく、色々なモノが一挙に現れた。

それは大きく分けて3つ。

まずは、仮設の鉄パイプを欄干代わりに据えたコンクリート橋。

続いてごく短い廃レール造の落石覆い(らしきもの)。

そして奥の突き当たりにあるものは、別方向へと伸びる堅牢そうな鉄の落石覆いだ。

つまりは間もなく現在線と合流するようだが、直前にさほど期待していなかった旧線遺構が2つも出てきた事になる。

手前から順に見ていきたい。

まずは仮設欄干が一見して興を削ぐこと著しいコンクリート橋であるが、わざわざ遠景を確保(→)したところ、立派に鉄道遺構をしていることが明らかとなった。

全国的に見て希少だとかここだけだというようなモノではないが、それでも廃線跡の橋梁が崩されず、しかもほぼそのままの姿で車道転用されているというのは、線路付け替えの歴史を体現する重要な遺構といえる。

残念ながら橋梁名の調べは付かなかった。(詳しく橋桁を調べれば銘板があったはずだ)

そしてこの構造物(写真は逆向きで撮影)。

謎の構造物と言っても良いかも知れない。

落石や雪崩を防止するための設備としてはあまりに脆弱で、力を逃すのも下手そうだ。

何に似ているかと言われれば間違いなく公園の「藤棚」で、廃レールを用いている事が鉄道構造物らしい唯一の点だろうか。

両側の柱の上部に見られる曲線部の処理などは、駅のホームのそれにそっくりである。

正体ははっきりしないが、当初からこの長さであったとすれば、それは線路上を架空していた索道か何かがあって、その墜落物から鉄道を守るための覆いかも知れない。(元々は格子の間に鉄網がはめられていたのだろう)

そしてここで、遂に現在線が出現! 合流!

地形図をかくも裏切り、浅い掘り割りの途中で左から合流してくる堅牢な落石覆いの正体は、くろがね光る現在線だった。

当然そこには、「第一久頭合トンネル」

[12] 飯田線 第6水窪川橋りょう(S字橋、渡らずの鉄橋), , http://www.d4.dion.ne.jp/~m_mori/kyouryoutikeimisakubo.html

JR東海 飯田線 第6水窪川橋梁 (城西‐向市場駅間)

静岡県浜松市佐久間

橋長 400.7m(22.3m×10連、34.0m×5連)

構成 デッキガーダ 15連

総重量 570.735t

開通 昭和三十年(1955) 十一月十一日

総工費 76,031,907円

「第2節 地質

水窪を中心とする地域は、我が国において地質構造の縮図であるといわれ、複雑多岐を極めている。特に水窪線の経過地の大部分は結晶片岩地帯を通過しており、また峯、大原の2大ずい道は大断層に接近している。

(中略)

(この)地域にはニの著しい断層線が存在し、この断層線を境として、地質は大別して三の地域に分けられる。すなわち水窪より北条(ほうじ)峠経て佐久間、中部天竜を通る著しい断層線があり、これは中央構造線と呼ばれる大構造線に沿うものである。

(中略)

更に水窪川のやや東寄り山腹を通る南北の断層線を境として、東側は古生層に属する水成岩で、珪岩、砂岩、粘板岩である。

第2章 向皆外ずい道の崩壊と代替線

第1節 概要

向皆外ずい道は、水窪川左岸の山端を貫く、延長45mの被りの薄いずい道である。豊橋方坑口より23mのアーチを畳築したとき、たまたま第12,14号台風が連続して襲来し、地表が崩れ、これにつれ、ずい道もまた一部崩壊した。この地山の移動は大規模なもので、既定の線路を建設することは、ほとんど不可能なため、線路を変更して第6水窪川橋りょう 400.7mを新設した。」

「飯田線 中部天竜 大嵐間線路付替工事誌」より

編纂 飯田線工事事務所 昭和31年8月1日発行

飯田線の車窓風景の中で楽しみの一つがこの第6水窪川橋りょうです。下り列車に乗ると城西駅を過ぎたところからその橋りょうは始まり、鉄橋を渡るレールの響きが狭い谷あいに轟きます。列車は対岸の右岸に渡るのかと思ってるうちに、また踵を返しもとの左岸に戻ります。通称「渡らずの鉄橋」とも、その形から「S字橋」とも呼ばれています。この橋は最初から計画されたものではありませんでした。水窪川の左岸をそのま

[13] 浜松・佐久間Atti-koti:原田橋落橋現場。, , http://puppu.hamazo.tv/e5903118.html

三遠南信自動車道の建設で変わりゆく佐久間。

街のようす、 川の表情、 季節の風景・自然の営み、

佐久間の人々の姿、 まちかどスナップ……。

佐久間に限らず、 周辺 「あっちこち (Atti−koti)」 に足を運んで、

主に写真で紹介しています。

パソコンでご覧の方は、写真をクリックすると拡大します。 携帯でご覧の方、 パソコンでもアクセスしてみてくださいませ。

[15] 静岡県 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C

静岡県の分類 [ 編集 ]

名目上の行政区分で、 東日本 、 中部地方 、 東海地方 、 広域関東圏 などに区分されている。また、 名古屋圏 や 関東地方 からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、 糸魚川静岡構造線 を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、これらとは違う区分に属することもある。

全域を一括する場合 [ 編集 ]

東日本 、 西日本

静岡県は、歴史的・文化的経緯や人口・面積の比率・経済等を勘案して、東日本に分類されることが多い。しかし、 日本の経済 の重心が 首都圏 に偏っていることから、特に経済分野で相対的に弱い西日本を補完するために、まれに西日本に分類されることもある。NTTの東西分割の際、静岡県がどちらに編入されるか問題になったこともあり、本来東日本であるNTT東海のエリアだったが東西で利用者数や資産規模のバランスを均一化するために、NTT西日本のエリアに編入された。

西日本 の例: NTT 分割、 Jリーグオールスターサッカー 。

中部地方 ( 東海地方 )、 広域関東圏

静岡県(知事)は、 中部圏知事会議 と 関東地方知事会 の両方に所属している。中央省庁や民間企業の管轄も、中部地方(東海地方)とする機関と関東地方とする機関が混在している。この場合、中央省庁の出先機関の所在地が、中部(東海)はほぼ全て 名古屋 に置かれ、関東は 東京 や さいたま に置かれている場合が多い。

中部地方(東海地方) の例: 衆議院 比例区 (東海ブロック)、 法務省 名古屋入国管理局 、 財務省 東海財務局 、 名古屋国税局 、名古屋 国税不服審判所 、 名古屋税関 、 国土交通省 中部 地方整備局 、 中部運輸局 、 国土形成計画 (中部圏)、 総務省 東海総合通信局 、中部 管区行政評価局 、 人事院 中部事務局、 厚生労働省 東海北陸厚生局 、名古屋 検疫所 、 中央労働委員会 中部地方事務所、 公正取引委員会 中部事務所、 国土地理院 中部地方測量部、東海市長会、 都市機構 (中部)、 国立病院機構 (東海北陸)、 NHK (東海・北陸)、 日本郵便 東海支社、 ゆうちょ銀行 東海エリア、 JAF (中部・東海エリア)、 NTTドコモ (東海支社)、 インターハイ (東海大会)、 選

[16] 国道418号線を走ってみる・その5 (長野県平谷村→売木村→阿南町) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b7a90f50815cf478ebf6881fc4fd09b1

きたへふ(Cチーム)のブログ

ファミスタとは特に関係ありません。タブレット・スマホをご利用の方は、できればPCモードで御覧ください。

【記事作成日:2017/11/6、現地訪問日:2016/9/3 (一部2016/10/23)】

このエントリでは国道418号線走行記の その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村) の続きとして、長野県平谷村から阿南町に至る区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町)

・ その3(八百津町→恵那市)

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町) …このページ

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷)

1. 平谷村→売木村→阿南町まで

この区間の地図 ( google mapのデータ )

岐阜県恵那市(旧矢作町)から県境を越えて長野県平谷村に到達したブログ主は、引き続き平谷峠を越えて売木村(うるぎむら)の方に向かって行きます。

01-平谷村を出発します(16:43頃)

前回休憩した恵那市内の道の駅を出発して約1時間15分。すぐ近くに道の駅 信州平谷がありますが、ここはスルーして休憩無しでそのまま国道418号を東進します。

02-売木村まで11km

平谷村から売木村までは、広めの片側1車線の快速道となっています。

03-惚れ惚れするような快速道 (平谷村入川地区)

この辺りは再舗装されたばかりなのか、綺麗な路面の快速道でした。

04-売木村まで6km

やっぱり快速道が続きます。

05-平谷峠に到着 (16:52頃)

平谷村市街地から10分足らずで平谷峠(標高1160m)に到着しました。

06-売木村に入ってきました

平谷村と売木村の境である平谷峠を過ぎると下りに入っていきます。

07-山の風景1

峠から山々を見下ろします。山の影が映ってきて、日が傾いてきたんだな~と感じます。

08-急カーブ

平谷峠のルートは広くて路面も良好ですが、一部ヘアピンカーブがあるので、やんちゃして飛ばしすぎないように注意する必要があります。(特に平谷村→売木村側方面は注意)

09-峠を下りてきました

山里の快走路を突き抜けます。

10-県道46号との分岐点

[17] 国道418号線を走ってみる・その6 (長野県阿南町→天龍村→遠山郷) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/64665ace1443115fe51c85d8c6d9b1e3

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【記事作成日:2017/11/13、現地訪問日:2016/10/23】

このエントリでは国道418号線走行記の その5(長野県平谷村→売木村→阿南町) の続きとして、長野県阿南町から天龍村そして飯田市(旧南信濃村)の遠山郷に至る最終区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町)

・ その3(八百津町→恵那市)

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町)

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷) …このページ

1. 阿南町→天龍村(平岡)まで

この区間の地図 ( google mapのデータ )

2016/9/3の朝より岐阜県の樽見(現本巣市、旧根尾村)より国道418号線単独区間走行の旅を行っていたブログ主ですが、長野県阿南町の道の駅 信州新野千石平まで来たところで日没サスペンデッドとなってしまいました。

道の駅 信州新野千石平 (2016/9/3訪問時)

そして約1ヶ月半後の2016/10/23、ブログ主は横浜の自宅を夜明け前に出発し、中央道+国道151号で飯田市側から南に下って道の駅 信州新野千石平に再びやって来ましたのでありました(9:00頃到着)。そして30分ほど休憩して、国道418号線を巡る旅は再開となります。

01-国道151号線から右に入ります (道の駅は写真の左後ろ側)

道の駅までの道中(特に中央道)では完全防寒装備をしていたにも関わらず寒さに震えていたブログ主ですが、ここから先はふつーの装備で出発します。

道の駅からは一旦来た道(国道151号)を飯田市街地側に200m程戻って、右側に分岐する国道418号線の方に進んで行きます。

02-この先大型車両通行不可

右の方に「この先 おきよめの湯から 大型車両(ホイルベース5m以上) 通り抜け出来ません 」との警告看板が出ています。

03-天竜まで17km、南信濃まで28km

田んぼと町工場の横道のようなところを抜けていきます。南信濃が国道418号の終点なので、あと一息な感じがありま

[18] 水窪町 『足神神社』 〜 『足神の水』 あっ カモシカ!! - ヤスケの空 , , http://blog.goo.ne.jp/yasukenounagi/e/6c55305ee1360e7cf2188d7882896fdf

さて前回 ドライブを楽しみながら水窪町までやってきました。

水窪までやって来たのは、良いのですが 目的地は全然決めてなかったんで・・・

さて どうしましょう って感じ・・・

地図と『睨めっこ』です。

『水窪町マップ』 ←クリックでマップ画像が表示されます

『水窪町 観光マップ』 ←クリックでマップ画像が表示されます

この日は、雨も降っていて 山住神社まで クネクネとした山道を走るのも

どうかなあ??

しかし この日は、かみさんの軽自動車なので あのキツイ登りは やばいでしょう

ってことで そちら方面は止め・・・ そういえば このまま行けば

静岡県と長野県の境付近に 足の神様が あったような??

時間は この時 11時 昼食には少し早すぎるようなので

どのまま 水窪町をスルーして 青崩峠を目指します。

それ 行け〜 ププププ

水窪町の出発地点 山住神社の下社でしょうかねぇ?

私の知っている 山住神社は、ここを右折 県道389を東進した山の上にあったんだけどねえ この神社は知りませんでした

ここより 水窪町内を 素通りして 行きます

『水窪町〜足神神社までルートマップ』 ←クリックで地図が表示されます。

川の対岸に見えるのが JR飯田線の水窪駅ですよ

そこへ ジャスト 電車が走ってきました 長野からやってきた電車です

この飯田線とも すぐにお別れ 山の中へと入って行きます

『みさくぼ オートキャンプ場マロニエの里』の横を通り プリリリン

水窪町奥領家付近まで来た時 パーン パーン パーン と乾いた音が3発

聞こえてきました 何だろうと 車を停め 付近を見ても なんだか良くわからず

すぐに ノロノロと出発 その時です

車の前に

突然カモシカが山の斜面より駆け上がってきて ビックリ

こちらが 驚いて 急停車 で お互いの顔が見える 距離

時間がゆっくり過ぎていくように カモシカの様子が良くわかりました

何か おびえているよう しかも 目がウルウルしているようにも見えました

すぐさま カモシカは 私の目の前でUターン 山の斜面を駆け下りて行きました

山の下側は 川が分岐しているみたいで 小さな小川の方に逃げて行きました

あ〜 ビックリした まさか こんな場所に カモシカが居

[19] (旧)深沢川水路橋 ~西天竜幹線水路を南北につないだラーメン橋~|くーる長野 ~隠れた見所 おいしい食事~, , http://ameblo.jp/coolkamiina/entry-11728496766.html

市町村別記事一覧(東信、北信、中信)

市町村別記事一覧(南信) (←↑クリック)

過去の記事へは↑こちらからどうぞ

【北佐久】

<飲食> レストラン トーマス(デミソースチーズハンバーグ)

【中 野】

<飲食> 山路食堂(玉子カツ丼)

【長 野】

<見所> 県庁のシャクヤク

→県庁のアルストロメリア、シンビジウム

→善光寺花回廊 →県庁のトルコギキョウ

<飲食> 信州そば 小菅亭 駅そば処(鴨そば)

→栄華光(Bかた焼きそば)

→らぁめん みそ家(味噌らぁめん)

→かつや川中島店(カツ丼(松))

→コメダ珈琲店 長野東和田店(モーニング)

→かつや川中島店(カツカレー(松))

→門前茶寮 彌生座(せいろ蒸し)

→あまさけ茶屋 やよい(甘酒と藤棚)

→藤田九衛門商店(鯉焼)

→樽 長野駅前店(焼き鳥と山盛りキャベツ)

→日の出らーめん 長野本店(ガッツ麺DX大盛)

→ちりめん亭 長野南店(酢辣湯麺)

→大連飯店(水餃子ラーメン)

→胡蝶庵 南長野店(胡蝶庵御膳)

→すき家 長野南店(うな牛)

→川端(川端定食)

【須 坂】

<飲食> かねき(みそすき丼)

→とら食堂(焼肉定食超大盛)

【千曲市】

<飲食> 姨捨SA(下り線)(Bigな焼鶏丼·改)

【大 町】

<見所> 農具川の芝桜

【安曇野】

<見所> わさび農場と菜の花畑 →真冬のチューリップ

<飲食> 信州安曇野 新そばと食の感謝祭

→道の駅安曇野松川(いろどり御長寿膳)

→吉田屋(どてうどんと鶏もつ煮)

【松 本】

<見所> 弘法山の桜2013 →松本城(新春開門式)

→松本城の桜 →弘法山の桜2014 →法船寺の紫陽花

→水辺のマルシェ

<飲食> イイダヤ軒 南松本駅店(かき揚げ玉子そば)

→奏素屋(松本ソースかつ丼 山雅)

→コメダ珈琲店 松本庄内店(シロノワール)

→喫茶島々(甘くないたいやき)

→信州・松本そば祭り2013

→二代目丸源 松本店(きゃべとん)

→大戸屋 ホリデイタウン松本店(蒸し鍋定食)

→吉野家 19号線松本高宮店(牛すき鍋膳)

→鶏支那屋(鶏支那そば)

→支留比亜珈琲店 松本島内店(カルボトースト他)

→テンホウ南松本店(チャーメン)

→支留比亜

[20] 綱引きで国境を決める飯田市と浜松市が仲良しすぎる - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/141106165557_1.htm

綱引きで「国境」を決める……これは、長野県飯田市と静岡県浜松市の県境、兵越(ひょうごし)峠で毎年10月末に行われている「峠の国盗り綱引き合戦」という祭りだ。

遠州軍(静岡県)と信州軍(長野県)が、兵越峠で綱引きを行い。勝ったほうが「国境」を1メートル相手側の方に動かし「領土」を広げるというのだ。

この祭り、以前より県境マニア界隈では噂になっており、かくいう県境マニアの端くれであるぼくも、一度この目で確かめておきたい祭りであった。

しかし、この兵越峠というものが曲者やっかいな存在なのだ。

兵越峠でピンと来るひとはよほどの国道好きか地元のひとか。どちらかであろう。

兵越峠は、国道152号線の未通区間として有名な青崩峠の迂回路として使われる峠である。

青崩峠に関してはこちらの記事でご覧頂くとして、兵越峠。

イベント会場のある兵越峠まで、公共交通機関で行く場合、豊橋を朝六時に出発する飯田線に乗り、2時間をかけて水窪駅まで行き、そこからイベント会場まで運行しているシャトルバスに乗るしかない。

とにかく、とんでもない山奥なのだ。

県境マニアが今まで行きたくても行けなかった祭り。それが「峠の国盗り綱引き合戦」だった。

[21] 廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道, , http://yamaiga.com/rail/iida_mukagaito/main.html

【周辺図】

JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。

その名も「第六水窪川橋梁」。

しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。

それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。

この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。

一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。

道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。

そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうことにした。

両者は最短で300mほどしか離れていない、同じ駅間の物件である。

2009/1/25 7:25

実はこの探索、前回の「第一久頭合隧道」と共に、当初は今回やる予定のなかったものだ。

自転車が昨日故障しなければ、朝一で飯田方面へと向かうつもりだった。

それゆえエスクード常備の僅かな資料と、ノートパソコンに補完してある読者諸兄による「情報提供メール」とが、この日の計画変更の材料となった。

そんなわけで、いつも以上に未知を切り開いていく感覚をもっての探索となったのは、幸か不幸か。

そのファーストタッチとなる向皆外(むかがいと)橋へ立った私の前に、地形図のイメージよりも遙かに壮大な鉄道風景が広がった。

これが、“渡らずの橋”か。

なるほど、その通りの姿をしている。

ちょうど対岸が中芋掘の、意外なほど密集した市街地になっているため、

余計に線路が入りがたく曲がってしまったような印象を受ける。

そして、この橋に対する旧線が有るとしたら、それはもう一箇所しか考えられない。

私は、速やかに“そこ”へ向かった。

【現在地】

きたきた…、早速見えてきた…。

線路が二叉に分かれていたような雰囲気が、ありありと見て取れる一角が現れた!

まずは順調なファーストコンタクト。

ちなみに、ここへ直接来る車道はないので、50mほど離れた道から段々畑の畦を下って、さらに民家の

[23] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

[24] 道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間, , http://yamaiga.com/road/r256_kami/main4.html

2011/4/21 16:03 《現在地》

約2時間ぶりに再会の時を迎えた県道251号だが、素直に合流して終了とはならない。最後までおかしげな状況が待ち受けていた。

私がかつて、ある人から見せてもらった図面では、この先の国道256号は、右図に示した赤線の通りに描かれていた。

どう見ても不自然過ぎる直線ルートであり、 道としての実態がそこに存在しないことは明らかだったが、長野県はこのルートで国道256号を指定したうえで、供用開始の告示もしている。 (告示自体は見ていないが、「道路統計年報2017」には国道256号の未供用延長ゼロとなっているので、供用中(自動車交通不能区間)で間違いない)

さて、私はどうするべきなのか。

図面だけに存在する実態のない道を無理矢理にでも辿るべきなのか。

国道を正確に辿るという目的なら、おそらくそれが正解だろうが、廃道探索者としては違う答えもある。

それは、私がこれまで辿ってきた古い道の続きを辿ることだ。

目に見える道形は、図面のような不自然なルートではなく、このまま地形に沿って右へ素直なトラバースを続けている。

遠からず県道と合流するのはどちらを選んでも同じだろうから、折角なら目に見える道を選ぶことにした。

素直に道を辿っていくと、すぐにスギ林の終わりが見えてきた。

路肩側に結構な規模の石垣があるが、風化の度合いが著しく、近代車道の石垣というよりは、戦国時代の土塁という方がしっくりきそうな姿であった。

県道との間に最後まで残った高低差をどうやって詰めるのか、いろいろ想像しながらスギ林を抜け出てみると……

……呆気なく道形は消えてしまった。

道形の最後まで続いていた石垣は、斜面に呑み込まれるようにして終わっていた。

その斜面の上方10mほどの位置に県道の路肩がある。

状況から見て、県道に進路を奪われたということだろう。

この消失地点辺りで切り返して登っていたのだろうが、あとから出来た県道に破壊されて埋没したのだと判断した。

やむなく、 【斜面を直登して】 県道へ脱出した。

16:03

おおお〜! 久しぶりの県道!

いままで好き放題上から落石攻撃してくれたな! もうそれもおしまいだぞ。これからは国道が上を行くからな。

ここは県道の「3号カーブ」と呼ばれている地点である。標高770m。上町の“終点”を出発してから約1.

第六水窪川橋梁

第六水窪川橋梁

向皆外隧道

向皆外隧道

城西駅

城西駅

第一久頭合隧道

第一久頭合隧道

履歴

[30] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933423646

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