鳴子隧道は、山形・宮城両県の北部を結ぶ重要な幹線、かつては北羽前街道と呼ばれた国道47号線にある。
東北有数の温泉地として古くから栄えたる鳴子温泉の程近く、大谷川の両岸に垂直の断崖が続く、鳴子峡と呼ばれたる難所に、隧道はある。
残念ながら、この隧道について私の知る情報は少ない。
どのような経緯でこの隧道が廃されたのかなど、気になることは多いのだが。
というわけで、早速だが、現地のレポートをご覧いただこう。
2003年4月、まだまだ山は冬の装いだが、里から春が上ってゆく。
自宅から150km以上離れた鳴子町は、秋田県とは県境を接する。
鬼首道路の開通でだいぶマシにはなったが、やはり宮城県は遠い隣県である。
鳴子町内の国道47号線の旧道。
1996年頃、この近くのJR鳴子御殿湯駅で仮眠したことを思い出し、懐かしく思った。
あの頃とは、走り方も、考え方も、旅の目的も、自転車も、年も、変っていないものは何も無い。
しかし、それでも、山チャリと称す自転車遊びだけは、全く飽きもせず続けている。
木の香りがする店先では、鳴子名物のこけしたちが、やさしい笑みを浮かべている。
なんか、鳴子って、好きな町だ。
2車線の立派な国道に合流すると、早速登りが始まる。
山形県境までの10kmほどはなだらかな登りが続くが、特にここからの鳴子峡は難所とされる。
早速私を出迎えてくれたのは、立派なアーチの旧橋であった。
現国道に沿って、僅かな距離だが旧国道が残っていた。
旧橋は、鳴子橋の遊歩道へのアクセス道路として利用されているだけでなく、駐車場と化していた。
なんか、橋のダメージが心配だ。
それにしても、立派な開腹アーチ橋である。
現道がどうしても視界に入ってしまうが、さぞかし紅葉に映える橋だろう。
対岸からの眺め。
この日は、工事中とかで鳴子峡の遊歩道は通行止めになっていた。
しかしそれでも、ずいぶんとたくさんの観光客が訪れていた。
平日だというのに。
この橋の名は、大谷橋。
昭和8年3月の竣工と、銘板が現存していた。
山中の橋としては、異例に古い!
昭和8年といえば、まだ秋田県内では数橋しか永久橋は架設されていなかった。
やはり、宮城県は進んでいたようだ。
現橋(新大谷橋)が、昭和47年の竣工なので、現役を退いてからもう少しで30年