ようやっとこさ隧道に会うことができた。
ちなみにこの隧道は第四小繋隧道という名前のようだ。
早速坑門をチェックしてみる。
キレイな馬蹄型の坑門であり、崩落箇所なども全然見当たらない。
よーしそれじゃ中に入るかと思ったら・・・、
ゲゲッ!汚くて入れない・・・
Σ(¯ロ¯lll)
今日は長靴を忘れてきたのでムリして突入することができないんだよね・・・。
しかも何かシダ植物のようなものも生え始めているし。
まぁ入れないなら入口から可能な限り調べてみるか。
というかこの隧道入口から少し入った場所でちょっとだけ狭くなっているな。
向こうはレンガ造りのようだから、後から入口だけ広くしたのだろうか?
もしそうだとしても意味が良くわからないのだが・・・・。
さてこちら側からはこれ以上調べることができなさそうだし、明らかに一直線の隧道で閉塞はしていなさそうなので、もう一度公園側に戻って隧道入口を探してみるか。
戻る途中もう一度米代川ときみまち坂公園の桜が見えた。
そして再度公園に戻ってきた。
先ほどの隧道の高さから考えて、実は思った以上に低い場所に線路があるようだから、写真に見える「桜まつり」の看板を左に進んだところ・・・・。
あっさり見つかりました・・・orz
さっきまでの捜索は一体何だったんだ・・・・・・・。
il||li _|¯|○ il||li
ま、気を取り直して調べてみるか。
ちなみに入口の坑門脇にはご丁寧に『奥羽本線旧トンネル(昭和46年まで使用)』とか書かれている。
どうせなら隧道の名前(第四小繋隧道)も書いてくれれば完璧だったんだけどなぁ。
内部に入ってみる。
まず長さだがそれなりに長そうだが、200メートルは無いだろう。
また入口左側の側面には『50』と『1956-11』と刻まれていた。
1956-11というのは完成(もしくは改修・拡張等の作業)が終了した年月日だと思われるが、『50』というのはどういう意味があるのだろうか?
まさかこの隧道の制限速度ではないと思うのだが・・・。
しかし右側の側面を見てみると『1968-3』と刻まれていたのだ?
左右で全く違う年月日が刻まれている・・・。どう解釈してよいモノやら・・・。
また隧道中央部付近で崩壊があったようだ。
向こう側からは全然わからなかったなこれ。
まぁ通ることができない隧道の調査はこれくらいにして、次の隧道を調べ