第二小繋隧道

第二小繋隧道

[1] 奥羽本線第二小繋隧道

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[2] 奥羽本線旧線・きみまち阪公園付近の隧道群・その5: 世界のサトアツブログ, , http://satoatsu.moe-nifty.com/blog/2012/09/post-8d09.html

第四小繋隧道の探索を終え、見つけることができない第三小繋隧道は放置プレーし、次の第二小繋隧道を目指すため、再度道の駅二ツ井に戻ってきた。

道の駅を左手に見送りさらに先に進んで行くと、どこかの工場(こうば)か若しくは資材置き場のような場所が見えてくる。

この奥に目的の第二小繋隧道がある。

幸いゴールデンウィーク中は当然休みのようなので、ササッと脇道を通らせてもらった。

水場や水を流す堀のようなものがあり、長靴を持ってきていないのが本当につらかった。

そしてそれらを潜り抜けた先には・・・、

あった!!第二小繋隧道だ!!

足場がヘドロのような場所もあったため、慎重に近づいた。

そしてとうとう第二小繋隧道の目の前に立った。

第四小繋隧道以上に立派な坑門であった。全体が立派、というかレンガ造りだな。

隧道右上部には『No.2』と書かれていた。一発でこの隧道が第二小繋隧道だと分かっていいね(笑)

また坑門の下半分は両方とも崩れており、中の赤レンガがはっきり見て取れる。

それじゃ中に入ってみる。

この隧道は第四小繋隧道とは違い、出口付近が軽くカーブしているが、明かりは見えるため長さはそれほどでもなさそうだ。

またこの隧道はつい最近までキノコ栽培か何かのの場所として利用されていたようで、それらに使用されていたモノ(送風機なども残骸もあった)が地面にたくさん散らばっていた。

ガラスだけは踏まないように気を付けながら先に進んだ。

途中退避抗を撮影。

ちなみに右上の看板には『水位注意』と書かれていた。

反対側の出口が近づいてきたのだが、こちらは入口側よりもさらにひどい状況であった。

機材やら木材やらが足元一杯に散乱しており、出るのに大変苦労した。

・・・・・・まぁ勝手にここに来ているのはこっちのほうなのだが。

そして第二小繋隧道の反対側の坑門。

こちらは入口側とは違ってシンプルな坑門だが、予想以上にきれいであった。

坑門脇には『1955-9 工藤組』と刻まれていた。

また碍子の残骸がぶらーんとぶら下がっていた。

第二小繋隧道の側面も非常に丁寧に作られていた。

というかこれだけ出っ張ってしまうと列車が通るのに邪魔になるんじゃないかと心配してしまった。もちろんそんなことは無いのだろうが。

路盤跡はさらに向こうに続いていた。

次回は隧道は無いけど、最終回。

結構変わったものがあったよ。

[3] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/kotunagi_2.html

明治34年の竣工。昭和46年新線の開通により廃止された、およそ3.9kmの旧線が、奥羽本線二ツ井・前山間に存在する。

ここを、二ツ井駅側から探索開始。

景勝きみまち坂をかつて貫いていた2本の隧道のうち、一本を通過。

しかし一本は発見できず、多分消滅したものと考えた。

残る区間は約半分、そこにもかつて2本の隧道が存在していたとされる。

はたして、その探索の行方は。

前回の続きである。

結局発見できなかった第三小繋隧道の失われただろう前山側坑門は、この写真の範囲内のどこかにあったはずなのだが…。

ちなみに、左の道が旧国道(現在は県道)で、右のトンネルは現国道のきみまち坂トンネルだ。

こうやって見ると、旧国道脇の法面はかなり削られた形跡があり、旧国道の拡幅が近年のことであるとしたら、隧道は丸ごと削り取られたのかも知れない。

悔しいが、色々な想像が働くのみで、これ以上の現地調査からは何も得られそうに無かったので、次に進むことにした。

(この写真、国道7号線の真ん中に立って撮影しているが、真似しないように。)

きみまち坂を越えたそこは小繋集落といい、今回の隧道群の名称にもなっている。

道路的には国道7号線と、主要地方道3号線の分岐点になっており、昼夜を問わず通行量の多い場所だ。

そしてまた、最近は道の駅『二ツ井』がオープンし、白神山地のメジャー化と相俟って、賑わいを見せている。

この道の駅の広い駐車場の裏側に、現在の線路が走っている。

直線に敷かれた線路の先には、長い長い太平トンネル(延長約3km)が巨大な複線断面を開けており、どっしりとした太平山を貫いていく。

直前の(鉄道用)きみまち坂トンネルも長大(約1km)であり、この現在線のもたらす時間的な効果は相当に大きいと思われる。

県内の鉄道の路線の付け替えでは、以前紹介済みの矢立峠の前後の区間についで、二番目に大きな工事といえるだろう。

現役当時の詳細な地図を持ち合わせておらず、この先の探索は半ば、宝探しとなった。

小繋の集落内をしばし彷徨った後、やっと、旧線と思われる敷地を、国道からは100mほど山側に入った場所に発見し、接近を試みた。

そこは、ある私企業の敷地を通らねば行けない場所であり、(或いは写真に写る自動車学校の敷地を通らねばたどり着けぬ)詳細は伏せるが、先ほどの道の駅裏の線

[4] 奥羽本線旧線・きみまち阪公園付近の隧道群・その6(最終回): 世界のサトアツブログ, , http://satoatsu.moe-nifty.com/blog/2012/09/post-e41d.html

第二小繋隧道を抜け、今回の探索の最終目的地を目指した。

隧道出口の左側には崩れた建物があった。その近くには耕作放棄された水田跡(畑跡?)があったので、それに関係する小屋だろうか?

それらを左手に見ながら先に進むと、目的物が見えてきた。

ここが今回の探索の最終目的地である七座信号所跡である。

信号所のホームなのでかなり簡素な作りになっている。

青森方面に向かって右側のホーム。

ちなみにホーム側面には『1965-9』と書かれたプレートが貼られていた。

こっちが逆に左側のホームである。

こちら側のホーム付近にはこの信号場に関連する建物の土台部分のようなものがあったが、どのようなものなのかはよくわからなかった。

この信号場の先には第一小繋隧道があるようだが、ちょっとこの先には進めそうにもないようなので諦めた。

と書くと聞こえはいいのだが、なんてことはない事前の調査が適当だったため、第一小繋隧道を失念していただけだった・・・orz

次回の宿題だなこりゃ。

振り返ってもう一度七座信号所跡を見てみる。

この信号場から国道へアプローチする道路があるため、アクセスは非常に容易だ。

また国道の戻る途中に湧水が湧いていた。水が冷たくて気持ちが良かった。

道の駅に戻る途中国道から第二小繋隧道の坑門が見えた。

この季節ならすぐに発見できる。

道の駅のすぐ近くの旧奥羽本線の路盤跡をずっと目で追いかけていたら、路盤下にレンガ造りの暗渠隧道が見えた。

そして道の駅ふたついに戻って今回の探索は終了。

若干心残りの部分もあったが(第一小繋隧道の未探索とか)、とりあえずはこんなもんでしょう。

この日は他の場所の探索もあったし、急いでそちらに向かったのであった。

[5] 奥羽本線旧線・きみまち阪公園付近の隧道群・その4: 世界のサトアツブログ, , http://satoatsu.moe-nifty.com/blog/2012/09/post-582f.html

ようやっとこさ隧道に会うことができた。

ちなみにこの隧道は第四小繋隧道という名前のようだ。

早速坑門をチェックしてみる。

キレイな馬蹄型の坑門であり、崩落箇所なども全然見当たらない。

よーしそれじゃ中に入るかと思ったら・・・、

ゲゲッ!汚くて入れない・・・

Σ(¯ロ¯lll)

今日は長靴を忘れてきたのでムリして突入することができないんだよね・・・。

しかも何かシダ植物のようなものも生え始めているし。

まぁ入れないなら入口から可能な限り調べてみるか。

というかこの隧道入口から少し入った場所でちょっとだけ狭くなっているな。

向こうはレンガ造りのようだから、後から入口だけ広くしたのだろうか?

もしそうだとしても意味が良くわからないのだが・・・・。

さてこちら側からはこれ以上調べることができなさそうだし、明らかに一直線の隧道で閉塞はしていなさそうなので、もう一度公園側に戻って隧道入口を探してみるか。

戻る途中もう一度米代川ときみまち坂公園の桜が見えた。

そして再度公園に戻ってきた。

先ほどの隧道の高さから考えて、実は思った以上に低い場所に線路があるようだから、写真に見える「桜まつり」の看板を左に進んだところ・・・・。

あっさり見つかりました・・・orz

さっきまでの捜索は一体何だったんだ・・・・・・・。

il||li _|¯|○ il||li

ま、気を取り直して調べてみるか。

ちなみに入口の坑門脇にはご丁寧に『奥羽本線旧トンネル(昭和46年まで使用)』とか書かれている。

どうせなら隧道の名前(第四小繋隧道)も書いてくれれば完璧だったんだけどなぁ。

内部に入ってみる。

まず長さだがそれなりに長そうだが、200メートルは無いだろう。

また入口左側の側面には『50』と『1956-11』と刻まれていた。

1956-11というのは完成(もしくは改修・拡張等の作業)が終了した年月日だと思われるが、『50』というのはどういう意味があるのだろうか?

まさかこの隧道の制限速度ではないと思うのだが・・・。

しかし右側の側面を見てみると『1968-3』と刻まれていたのだ?

左右で全く違う年月日が刻まれている・・・。どう解釈してよいモノやら・・・。

また隧道中央部付近で崩壊があったようだ。

向こう側からは全然わからなかったなこれ。

まぁ通ることができない隧道の調査はこれくらいにして、次の隧道を調べ

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[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933402540

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