五百刈沢隧道

五百刈沢隧道

[1] 五百刈沢隧道

Webページ

[2] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/iokari_2.html

五百刈沢隧道は、秋田市の北部、外旭川と上新城を分ける稜線上に幾つもある隧道のひとつだ。

この稜線は、太平山地の末端に位置し、太平山前衛の山々を取り囲むように存在するが、その標高は100mにも満たない。

そして、上飯島地区の飯岡山を最後のピークとして、あとは、かつては海の底であった広大な水田地帯に落ちている。

五百刈沢隧道は、私にとって、山チャリで出会った初めての隧道(トンネルではなく、隧道)であり、その消長というほどではないが、十年来の姿を追ってきているので、とくに思い入れがある。

まあ、当サイトで紹介している他の隧道に比べれば、迫力には乏しく、ただの狭くて小さな隧道と見えると思うが、どうかお付き合い願いたい。

今回は、新たな発見があったので、これを中心に、五百刈沢隧道の再訪レポートをお送りする。

2003年12月11日、午前8時すぎ、自宅から5kmほどの地点にある五百刈沢隧道を目指し、主要地方道72号線(秋田北インター線)を、終点目指して走る。

五百刈沢隧道は、秋田北インターチェンジのすぐ裏の山にあり、高速道路があと50m山側を通過していれば、確実に消滅していただろう位置にある。

隧道への道は目印に乏しいが、一般の道路地図にもちゃっかりと掲載されているので、誰でも簡単に訪れることが出来よう。

数日前に始めて積雪したのだが、今日はそれもかなりとけている。

まあ、ちょっとした所用(当サイト用トップページの写真撮影です)で、道川製油軌道隧道に用事があって、そのついでに五百刈沢も行ってみようと思っているだけなので、山チャリというほども無い。

まさか、あんな発見があろうとは、思ってもいなかった。

高速道路の下を潜って、隧道への上りに入る。

この右手には、高速の建設のために集団移転して無人となった五百刈沢集落の墓地があって、そこには移転記念碑も建立されている。

高速道路のために集団移転するケースは珍しい。

過去何度と無く上り、または下ってきた道である。

急な道なので、ママチャリには少し辛かった覚えもある。

色々な思い出のある道を、ほんの50mも登れば、杉の木立の中、隧道がすぐに見えてくる。

今回の探索の目的としては、この五百刈沢隧道の起源を解明する手がかりを得ることである。

探索の前日に、地元にお住まいの方より情報を頂いていた。

それに

[3] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/iokari_2_2.html

五百刈沢隧道が開通する以前に利用されていたと思われる切り通しを探索中、上新城側の坑門のすぐ上部に、なんと、新たな坑門が発見された。

それは、今まで見たことも、聞いたことも無い隧道であった。

人一人が辛うじて滑り込める小さき坑門の奥は、本来の洞床に続く竪穴となっており、一度踏み込めば、戻れない危険がある。

現実問題としては、本当に戻れないわけは無いだろうと思って侵入を決心したわけだが、この後本当に…。

濡れた内壁で服を汚さぬように気を遣いながら、狭い隙間に足から入った。

濡れた土の斜面で足元は安定せず、一歩一歩降りていくことは困難だ。

これはもう、滑り降りるしかない。

意を決して、一歩踏み出すと、案の定、私は洞床まであっという間に滑り落ちた。

そこには、土の地面があり、奥には漆黒の空間が広がっていた。

空気の流れは、全く無く、あの独特の土臭さが鼻につく。

閉塞隧道の匂いだ。

暗さに目が慣れるのを少し待って、奥へと侵入を開始した。

竪穴の底に広がっていた空間は、紛れも無い隧道だった。

これこそが、五百刈沢隧道の先代と考えて間違いないだろう。

だが、ご覧の通り、長いはずは無い隧道の出口は、全く見えない。

奥は、一体どうなっていると言うのか。

出口の見えない隧道へと踏み込むとき、私は今でも、恐怖に震えている。

だが、一方でまた、興奮にも、打ち震えているのだ。

この発見は、全く想定していなかったことであり、なおさらだ。

冷静になりよく洞内の様子を観察してみると、まず一番に感じたことは、意外に広いということである。

高さこそ、2m程度と低いが、幅は5mくらいある。

軌道どころか、自動車だって余裕で通行できる幅だ。

このすぐ足元の地中に埋まっている現隧道よりも、その規模は、遥かに大きい。

また、完全に岩盤むき出しの状態で、支保工などの痕跡も無いが、内壁は良く安定している。

非常に滑らかに削られており、手掘りでない思われる。

今まで見てきたどの廃隧道とも異質な感じがするが、しいて言えば、すぐ傍の「道川製油軌道隧道」に似ている。

洞内には、水滴のあちる場所も無く、また、洞床の土も濡れてはいるが、ぬかるんでいたりはしない。

水滴が落ちていないのは、内壁が非常に滑らかなせいであって、壁面自体は良く濡れており、ライトに反射して銀色に光る

[4] 五百刈沢隧道, , http://tsuduramizi.web.fc2.com/homepage/tunnel/iogarisawa/iogarisawa.html
[5] 五百刈沢隧道: 徒然にアウトドア, , http://jurinji.cocolog-nifty.com/jurinji/2009/04/post-8594.html

昔、三軒家の隧道という名前で知ってたつもりだったんだが、こんな名前なんだってな所。

先日大滝山に行くときに、通れるのかなぁってな案配で行ってみて、何十年振りで通った隧道、ジテンシャで行ってみたんだが、急です、半端無いくらい。

地元の人達は結構利用してるみたい、近道だものねぇ。

「山さいがねが」のあのブログのつもりはありません、全然着いていけませんから。

峠を越えると、正面に私が手がけた上新城中学校が見えます。

来年閉校だそうです。

[6] 消えた五百刈沢 - 妄想B級の路 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/to_satojp/3039377.html

五百刈沢という集落がその昔ありました。しかし、秋田自動車道とICができる事なりその集落は移転したそうです。

[7] 五百刈沢隧道, , http://aoft291.pro.tok2.com/tunnel/gohyaku2.html

五百刈沢隧道(秋田市)

この隧道がある農道は冬季は除雪されないが、3月に入ってだいぶ雪が解けたので様子を見に行ってみた。

秋田北IC裏にある隧道への道。路上にはもう雪がない。ここから右の方に行けば

もう一つ隧道があるが、途中に雪があったので行くのはやめた。

坂を登るとすぐに隧道が見えてくる。路上に残った雪に車が通ったと思われる跡がある。

内部の照明は点っていた。これを見てこの先も通行可能なのではと思ったが・・・。

出口に近づくと、まだ雪が積もっているのが目に入ってきた。横の土の壁から落ちてきた土砂も積もっている。

もし車でここまで来ていたとしたら、狭い隧道内をバックするはめになっただろう。

IC側とは反対にまるで廃隧道のような上新城男鹿田側。まだ時期が早かったようだ。

隧道の先の道。豪雪の影響か、折れた杉の木が痛々しい。

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[8] 隧道レポート(初期レポート集1), , http://yamaiga.com/tunnel/tunnel1.html

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国道13号線は、秋田市を出発し延々内陸を縦貫、果ては山形を越え、福島市にまで至る元一級国道の名に恥じない最重要路線だ。

栗子トンネルなどの大きなトンネルを初め多数のトンネルを有するが、実は秋田県内には、トンネルはひとつも無い。(山形県境の雄勝トンネルを除く)

しかし実は、ほんの数年前まで、たった一つ、秋田市の間近にあった。

それがここに紹介する、和田トンネルだ。

この昭和36年竣工のトンネルは、僅か延長100m。

年代相応の狭隘なもので、昼夜を問わず交通量の多い国道13号線において、大きなボトルネックになっていたことは、想像に難くない。

前後にあった歩道もここで途切れるほどであったのだから。

そしてまた、地理的な条件(このトンネルが越えた低い稜線は、秋田市と河辺町を分かつものであり、秋田市の門というイメージが強かった。)や、その古さが想像させる過去の事故歴、最後まで無灯隧道であった事などが災いして、県内有数の心霊スポット(「男鹿プリ」か”ここ”というほどの)とされてきた。

私もたびたび深夜にここを自転車で通ったが、短いとはいえ歩道も無い狭く埃っぽい無灯の隧道を、背後から大型車が来ていないことを確かめてから、進入するのは、気持ちよいものではなかった。

見込みを誤り、大型車に追い立てられた時など、そのまま巻き込まれて死ぬのではないかと恐怖したものだ。

…幽霊云々ではなく、事実上、怖い場所であったのだ。

遅ればせながらと言う感じだが、最近になって、やっとここにトンネルを供さない、バイパスが完成した。

そして、そのバイパスは、あまりに旧トンネルに近い場所を巨大な切り通しで駆け抜けるものとなった。

すなわち、旧トンネルは、破壊され、消え去ったのだった。

私は埋め立てからほぼ1年がたった、2001年夏、久々にこの場所に行ってみた。

以下はその時に撮影したものだ。

[9] 秋田市 - 8月24日内訳41610276, , http://www.city.akita.akita.jp/city/fn/cn/n-jyouho/04_08_24/41610276.htm

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933384209

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