直島

直島

[1] 直島 (なおしま)

34.5144444444444 133.976944444444

Webページ

[2] 直島町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E5%B3%B6%E7%94%BA

直島町(なおしまちょう)は、香川県香川郡に属する町。瀬戸内海上に浮かぶ直島を中心とした直島諸島の島々で構成される。

[3] 瀬戸内国際芸術祭2013秋期中の直島へ行ってきました! | aquadrops *, , http://aquadrops.jp/archives/2322

そうだ、直島へ行こう

これまでの旅は一人で、旅先でfacebookなどで知り合った方々と会う、というパターンが多かったのですが、

今回は全工程、初の二人旅でした。

二人旅のご参考までに、今回の旅のプラン立てから、帰宅までまとめてみます。

そもそも直島とは

お恥ずかしながら、行こう、という話になるまで知らなかったのですが、

古くは三菱金属鉱業の精錬所の島で、今でも島の北半分は工場で占めています。

1987年より、今のベネッセ(当時の福武書店。あの進研ゼミや、たまごクラブひよこクラブの出版社。)の創業者が、「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、島全体を使った現代美術展へ。近年、新たに美術館が増え、観光リゾート地へと変貌して行きました。(引用:wikipedia 直島町)

準備編

ざっくりとプラン立て

9月中に、どんな工程で行くか、また、宿泊先をざっくりと組み立てました。

今回はこんな条件にしました。

宿泊先はつつじ荘 和室(その場で空きを確認)

行きは新幹線+在来線

帰りは寝台特急 サンライズ瀬戸

相手方のお休みの日が限られているので、それに合わせ、そして最終日はゆっくりできるような感じにします。

今回のコース

プラン立てのざっくりしたコースを元に、電車・フェリーのコースプランを立てます。

1日目

品川駅-東海道新幹線のぞみ-岡山駅-JR快速マリンライナー-高松駅-高松港-四国汽船(フェリー)-宮浦港-直島で観光-つつじ荘(泊)

2日目

つつじ荘-直島で観光-宮浦港-四国汽船(フェリー)-高松港-高松でご飯-高松駅-サンライズ瀬戸-東京駅-解散

旅のしおりを作りました。

手持ちのサーバにWordPressをインストールして、

お互いにスケジュールや必要なモノがチェックできるような、旅のしおりを作りました。

スマフォでも見れるように、レスポンシブデザインなテーマを使いました。

台風が近づいていました…

引用:tenki.jp

22号、23号、24号、と立て続けに発生し、23号はなんとか台湾の方に向け、安心したのも束の間、

24号がほぼ直撃のようなコースで予想されていました…

出発するまでソワソワしていましたが、岡山到着までに熱帯性低気圧に変わりました。本当によかった。。

切符・宿の手配

サンライズ瀬戸はなかなか取りづらい、とい

[4] 残念な事件、石島・井島火災 : rikubun*LIFE, , http://rikubun.exblog.jp/16776911

8月9日、瀬戸内海の石島・井島(いしま)で大規模な山火事がありました。 実はちょうど直島に出かけた日の午後でした。地中美術館から戻る途中、上空にドラム缶を吊るしたヘリコプターを見かけました。そして夕方民宿に戻る途中、隣の島から猛烈な煙が立ち上っているではありませんか・・・。直島の人も心配そうに海に出て見ていました。 石島・井島は島の中に県境があり、岡山県玉野市側が石島、香川県直島町側が井島という珍しい島です。人口は100人ほどで全て岡山側の集落に住んでいます。火事は香川側から出火し、延焼を続け、結局3日間で島の9割近くの山林を焼き尽くしたとのこと。一時は全島民に避難勧告も出たようですが幸い集落まで火は至らずけが人も出ませんでした。 まだ焼けていた翌日、直島から犬島に向かう高速船がちょうど石島の横を通過。消防と自衛隊のヘリが出動して消火活動が続いていました。 原因は特定できていないようですが、船でバーベキューに来ていたグループがいることが確認されているようです。

[5] 直島町長が鎮火宣言/井島の山林火災 | 香川のニュース | 四国新聞社, , http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/20110906000112

香川県直島町と岡山県玉野市にまたがる井島で1日発生した山林火災で、同町の浜田町長は5日午前9時、延焼の恐れがなくなったとして、鎮火を宣言した。焼失面積は約12アールで、けが人や住宅への類焼はなかった。

井島では8月9日に発生した山林火災で、同14日までに島の9割近い約237ヘクタールを焼いている。今回の火事について、高松北署は残り火が原因とみて調べている。

[6] 井島 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%B3%B6

最高標高は石島山の156.9mである。

人口[編集]

島の人口は103人(2011年)で、人口構成としては半分以上が50歳以上で、高齢化が急速に進んでいる。

人口は緩やかな減少傾向にあり、少子高齢化も進んでいる。島の唯一の教育施設であった玉野市立胸上小学校石島分校には、最盛期の1959年には69人の児童がいたが、その後児童数は緩やかに減少していった。2011年に最後の児童が卒業し、3月25日に休校になった。将来的には廃校になる可能性もある。

産業・施設[編集]

産業は養殖業が盛んで、沖合には養魚場が多く点在し、中でも海苔の生産が多く、港の周辺には海苔の加工場が幾つもある。

島の中心市街は北部の港の近辺にあり、そこには小学校や公民館などの公共施設が設けられている。市街ができた土地はやや急な丘となっている上、水源が近く[疑問点 – ノート]になかったため、島の開拓は困難であったとされる[誰によって?]。

交通[編集]

定期船は運航されておらず、島に渡るには郵便船や島の漁業者が出す船に頼ることが多い。近辺[疑問点 – ノート]には商業施設はなく、島の生活圏は宇野にまで及ぶ。

歴史[編集]

古代[編集]

石島一号墳を始めとする古代遺跡の発見や化石が多く出土されていることでも知られる。

江戸時代[編集]

1702年に直島と胸上村との間で境界論争が発生し、幕府が石島山から東西に境界を引く形で、北部を胸上領、南部を直島領と決めた。その当時は井島は無人島だった。

このあと胸上村から3人の農民が井島に行き、石島山の北の麓を開拓した。その後も胸上村数人が井島に移住し、開拓に関わった。またその間には爆発的な増加率で増え、1702年に数人であった人口が1742年には56人にまで膨れあがっていた。

近代[編集]

水利[編集]

島内を流れる石島川に、1983年と1989年に砂防ダムが完成。上水道として利用していたが、1996年の海底送水管の完成によって利用されなくなった。

火災[編集]

1895年に火事が発生した。集落の多くが焼けた。

1907年の火事では、家が8軒焼けている。

2011年8月9日に山火事が発生し、約73時間後に鎮火。島の面積の約87%に当たる237haを焼いた[1]。火災発生の夜に十数人のグループがバーベキューをしていたことが判明している[2]。

県境[編集]

日本で都道府県

[7] Old Man and The Seto Inland Sea 「老人と瀬戸内海」: 石島(井島)で火事です。早期鎮火を望みます。, , http://chocoseto.blogspot.jp/2011/08/blog-post_09.html

ヘミングウェーの「老人と海」The Old Man and the Sea:Ernest Hemingway

この本が私は好きでした。I liked this book.

私は瀬戸内海のそばに住んでいます。I live near the Seto Inland Sea.

私はタイトルを「老人と瀬戸内海」に決めました。My title is "old man and The Seto Inland Sea"

[8] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933382335

メモ