山行が史上最難の踏破計画、和賀計画発動。
現在、初代和賀川発電所跡へ、侵入開始。
発電所遺構内部 地上層
私は、既に内部へ進入していた二人を追って、急な鉄の階段を響かせ、二階の開いたままになった狭き扉をくぐった。
最初に飛び込んできた景色は、6畳ほどの洋風の部屋だ。
今入ってきた入り口の他、二方に扉がある。
足元には倒れた扉や、剥がれ落ちた内壁のモルタル、ガラス片などが積もっている。
しかし、人為的にもっと荒らされているかと思ったが、落書きなどは皆無であり、本当に人々から忘れ去られた廃墟
なのだと知った。
これで、内部が落書きだらけだったり、ゴミが散乱していたり、或いは普通の事務所風の建物だったら興ざめだったが、滅多に見ることのない洋風建築は、私の好奇心をそそった。
調度類は全て取り外されていたが、そのせいもあって、外から見る以上に廃墟は広く感じられた。
木製の床は朽ち、捲り上がり、穴も目立っていたが、万が一踏み抜いても下の階へ落ちる様な心配はない。
基礎はコンクリート製の頑丈な建築物である。
先ほどパタ氏が、時あらぬ爆竹で散らしたコウモリ達のパニックは、未だ収拾しておらず、ちょっと不気味でカワイイ大振りな体を、壁から壁へ飛び跳ねる様な勢いでに多数が乱舞している。
その蜂起の中を、我々は好奇心に駆られ、ひと部屋ひと部屋と奥へと進んでいく。
発電所の遺構らしく、生活とは関係の無さそうな空間が目立つ。
計器類が置かれていただろう奇妙な空間も、所在なさげに空虚を晒す。
天井には、各部屋ごとにランプがぶら下がっていたのだろう。
その空間は、まさしく大正期の西洋建築のイメージそのものだ。
私が今まで見てきたもので、とても似たものがある。
それは、阿仁町にある観光名所「異人館」である。
阿仁町の異人館は、明治10年に阿仁鉱山で働いたドイツ人技師達のために建てられたものであったが、とてもよく似た西洋建築である。
発電所と鉱山、立地は違うが、これらは全く無関連とも言えない。
この和賀仙人も、阿仁に劣らぬ鉱山の街であったのだから。
一階に下りる階段は、2カ所にある。
1カ所は、私たちが進入したのとは反対側である。
この階段を下ると、そのまま発電所のメインブロックであったタービン室へと繋がる。
さらに、地階もあるようで、そこへの暗き階段が