[1] 岡崎神社 (おかざきじんじゃ) , 東天王
35.0174166666667 135.788777777778
岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、京都市左京区岡崎にある神社である。別名「東天王」とも言われる。 かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。
京都に来ています。基本的に飲みあるきが主たる目的ですので、特に観光の予定は立てていません。ただこの東天王「岡崎神社」には以前から興味があり今回訪問することができました。 御祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)が祀られており、御神徳は「子授け・安産」「縁結び」「厄除け」です。 宮繁稲荷神社。うがのみたまの神、えびす神、大黒神が祀られています。 そしてなんと言っても「狛うさぎ」です。阿形吽形のうさぎで、左は雌です。 都の卯(東)の方位にある付近一帯が、野兎の生息地だったようでして、うさぎが氏神様の神使いとされているようです。本殿前にはこの狛うさぎ。うさぎは多産なので子授け安産祈願でかなりの人気とのことです。でもこの日は人もまばら。 しかし可愛い(笑)これは右の兎で雄です。頭をなでることで縁結び・夫婦和合の祈願となるようです。 うさぎおみくじです うさぎおみくじ、定番のアングル もちろん狛犬もいるのですが・・・・・ オーマイガー! ソー!キューート! 境内はすいていますので独占してます。 もう~たまらん(笑) 愛らしいですね。ほんと撮ってて飽きません。 親子うさぎもいました。(それほど感動なし・・・汗) 絵馬もうさぎです。 そして、お尻! ナデナデ・・・なでなで・・・よしっ!安産間違いなし!(この狛うさぎは雄か・・・) もいっちょお尻!キュートすぎる! ほんと、まったく飽きない!(笑) さて突然ですが、そろそろ居酒屋がオープンする時間です。あまりに可愛いうさぎとの出会いでテンション上がりまくりのまま、岡崎神社を後にしました。 以上です。 最後にもいっちょ特別! 東天王 岡﨑神社住所:〒607-8305 京都市左京区岡崎東天王町51番地 TEL:075-771-1963 交通:市バス 32番、203番、93番、204番「岡崎神社前」下車、市バス 5番「東天王町」下車 京阪・神宮丸太町駅下車、地下鉄東西線・蹴上駅下車
京都に来ています。基本的に飲みあるきが主たる目的ですので、特に観光の予定は立てていません。ただこの東天王「岡崎神社」には以前から興味があり今回訪問することができました。 御祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)が祀られており、御神徳は「子授け・安産」「縁結び」「厄除け」です。
宮繁稲荷神社。うがのみたまの神、えびす神、大黒神が祀られています。
そしてなんと言っても「狛うさぎ」です。阿形吽形のうさぎで、左は雌です。 都の卯(東)の方位にある付近一帯が、野兎の生息地だったようでして、うさぎが氏神様の神使いとされているようです。本殿前にはこの狛うさぎ。うさぎは多産なので子授け安産祈願でかなりの人気とのことです。でもこの日は人もまばら。
しかし可愛い(笑)これは右の兎で雄です。頭をなでることで縁結び・夫婦和合の祈願となるようです。
うさぎおみくじです
うさぎおみくじ、定番のアングル
もちろん狛犬もいるのですが・・・・・
オーマイガー!
ソー!キューート! 境内はすいていますので独占してます。
もう~たまらん(笑)
愛らしいですね。ほんと撮ってて飽きません。
親子うさぎもいました。(それほど感動なし・・・汗)
絵馬もうさぎです。
そして、お尻!
ナデナデ・・・なでなで・・・よしっ!安産間違いなし!(この狛うさぎは雄か・・・)
もいっちょお尻!キュートすぎる!
ほんと、まったく飽きない!(笑)
さて突然ですが、そろそろ居酒屋がオープンする時間です。あまりに可愛いうさぎとの出会いでテンション上がりまくりのまま、岡崎神社を後にしました。
以上です。
最後にもいっちょ特別!
東天王 岡﨑神社
住所:〒607-8305 京都市左京区岡崎東天王町51番地
TEL:075-771-1963
交通:市バス 32番、203番、93番、204番「岡崎神社前」下車、市バス 5番「東天王町」下車
京阪・神宮丸太町駅下車、地下鉄東西線・蹴上駅下車
祭神[編集]大将軍(素戔鳴尊)御子神八柱太歳神(天忍穂耳命)大陰神(市杵嶋姫命)歳刑神(田心媛命)歳破神(湍津姫命)歳殺神(天穂日神)黄幡神(活津彦根神)豹尾神(熊野櫲樟日命)歴史[編集]平安京建設時、王城鎮護のため都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれたという。江戸期に入り大将軍社と改称、明治期に現名称へと変更された。本来の祭神は大将軍という。大将軍は陰陽道の方位神であり、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神であるため、長きにわたり民間の崇敬を集めた。明治の神仏分離令にて祭神は素盞嗚尊と改められた。社号の「八神社」は、陰陽道の暦神(八将神)を祀るところから来ており、後には素盞嗚尊の御子神八柱の意も重なっている。文化財[編集]木造大将軍神像 80躯(重要文化財)これらの神像群は平安時代中期から末期の制作といわれる。すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像、束帯姿の像、童子形の像(1体のみ)など計80体を数える[1]。破損の多い像も多いが、これだけ多数の古神像が一神社にまとまって伝来する例は日本でも他になく、貴重なものである。武装形像は作風に仏教の天部像との共通性もみられる。1972年、国の重要文化財に指定された。古天文暦道資料(京都府指定文化財)境内にはこれらの文化財を収めた方徳殿という建物があり、毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日には一般に公開されている(その他の日は予約制)
祭神[編集]
大将軍(素戔鳴尊)
御子神八柱
太歳神(天忍穂耳命)
大陰神(市杵嶋姫命)
歳刑神(田心媛命)
歳破神(湍津姫命)
歳殺神(天穂日神)
黄幡神(活津彦根神)
豹尾神(熊野櫲樟日命)
歴史[編集]
平安京建設時、王城鎮護のため都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれたという。江戸期に入り大将軍社と改称、明治期に現名称へと変更された。本来の祭神は大将軍という。大将軍は陰陽道の方位神であり、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神であるため、長きにわたり民間の崇敬を集めた。明治の神仏分離令にて祭神は素盞嗚尊と改められた。社号の「八神社」は、陰陽道の暦神(八将神)を祀るところから来ており、後には素盞嗚尊の御子神八柱の意も重なっている。
文化財[編集]
木造大将軍神像 80躯(重要文化財)
これらの神像群は平安時代中期から末期の制作といわれる。すべて男神像で、甲冑を着用した武装形の像、束帯姿の像、童子形の像(1体のみ)など計80体を数える[1]。破損の多い像も多いが、これだけ多数の古神像が一神社にまとまって伝来する例は日本でも他になく、貴重なものである。武装形像は作風に仏教の天部像との共通性もみられる。1972年、国の重要文化財に指定された。
古天文暦道資料(京都府指定文化財)
境内にはこれらの文化財を収めた方徳殿という建物があり、毎年5月1日~5月5日と11月1日~11月5日には一般に公開されている(その他の日は予約制)
[6] この記事はSuikaWiki Worldで2013-09-19T07:29:18Zに作成されました。 2013-09-27T07:30:15Zに最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933356296