一の橋公園

一の橋公園

[1] 一の橋公園 (いちのはしこうえん)

Webページ

[2] 一の橋公園 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%81%AE%E6%A9%8B%E5%85%AC%E5%9C%92

一の橋公園(いちのはしこうえん)は、東京都港区にある港区立の公園である。一の橋親水公園の略称。 現在付近では東京都による古川地下調節池工事が行われており、公園は2010年(平成22年)2月中旬から2016年(平成28年)3月31日までの予定で利用中止となっている。

[3] 六本木、麻布十番、元麻布の川跡(3)六本木ヒルズ〜麻布十番の流れ : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/14062603/

※今回は本文については2005年版の記事をベースに加筆修正しています。 六本木6丁目の南側、現在六本木ヒルズレジデンスが建っている一帯は、旧町名でいうと北日下窪町と麻布宮村町の境目にあたる。かつてこの一帯は谷底となっていて、湧水が各所でわき出し、細流が流れ出していた。再開発で六本木ヒルズが出来る前は、テレビ朝日通りから「玄碩坂(げんせきざか)」と呼ばれる急な坂が谷底まで下っていた。写真は1997年の玄碩坂の様子。

周囲の地形は六本木ヒルズの造成で、跡形もなく改変され、玄碩坂が通っていたルートとだいたい同じ位置に「さくら坂」が通っている。坂の傾斜を緩やかにするためか、かなり盛り土がされているようだ。

坂の西側~南側は急な斜面となっていて古い家屋が並び、風情のある石段がいくつか、宮村町の丘の上から下っていた。坂沿いの家や路地、駐車場にはあちこちに猫が見られた。これらの猫たちはどこに行ってしまったのだろう。写真は階段のひとつ(1997年撮影)。

坂沿いの一帯は字藪下と呼ばれていた。江戸時代より湧水による池が点在し、「岡場所」(私娼窟)があったという。かなり悪質なものだったらしく江戸後期、天保10年(1839年)にはぼったくられた久留米藩士達が取り壊しを行い、以後岡場所はなくなったというエピソードが残されている。一方入れ替わるように、江戸後期から下級武士たちの副業として、湧水池を利用した金魚養殖が始まった。明治初期の地図にはあちこちに湧水を利用した金魚の池が描かれている。左の地図は五千分の1地形図「東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍(明治16年)」より。その下は現在の同じエリアをgooglemapから。 岡本かの子の1937年の短編「金魚撩乱」では、冒頭に界隈の風景が描写されている。 「崖の根を固めている一帯の竹藪の蔭から、じめじめした草叢があって、晩咲きの桜草や、早咲きの金蓮花が、小さい流れの岸まで、まだらに咲き続いている。小流れは谷窪から湧く自然の水で、復一のような金魚飼育商にとっては、第一に稼業の拠りどころにもなるものだった。その水を岐にひいて、七つ八つの金魚池があった。池は葭簾で覆ったのもあり、露出したのもあった。逞ましい水音を立てて、崖とは反対の道路の石垣の下を大溝が流れている。これは市中の汚水を集めて濁っている。」(「金魚撩乱」より) 再開発のときまで残

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933303461

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