金山トンネル

金山トンネル

[1] 金山トンネル

Webページ

[2] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK25.html

ある日、“金山隧道”を検索していたら、福島県の相双建設事務所の書いた興味深い論文に遭遇した。

論文の「はじめに」ということで、以下の内容が綴られていた。

「役割を終えた鉄道の跡を訪ねる旅が、近年ひそやかな人気になっている。調べてみると、本県にも「常磐線旧線」「好間炭鉱専用鉄道」「川俣線」「日中線」「日本硫黄沼尻鉄道」などの廃線跡がある。文献を読むと、相双管内にある「常磐線旧線」の「隧道群」は、明治時代のトンネル技術が原形に近い形で、表情の異なるトンネル群として残されており、その中でも「金山トンネル(1646

m)」は、1000 �b級のものが明治20 年代の終わりから30 年代の初めにかけて一般化しつつあった中でも、特に長いものであったことが知られている。

経済産業省では、我が国の産業の近代化に大きく貢献した遺産を、地域活性化にも役立つものとして、平成19年4月に近代化産業遺産として認定を行っており、本県関係では「赤煉瓦製造関連遺産(喜多方市)」「常磐炭坑関連遺産(いわき市)」が認定されている。このうち、いわき市では、これらの遺産を観光資源として活用し、地域づくりに活かそうとする試みが始まっている。そこで、当研究においては、「常磐線旧線隧道群」が近代化産業遺産に匹敵するものではないかと考え、その土木技術的価値を検証し、今後、当地域の歴史を後世に伝える貴重な地域資源として活用できないかを検証することとした。」

要するに、その辺にゴロゴロしている遺構(常磐線廃隧道)を観光資源に生かせないかということを、お役人が真剣に考えたのだ。 現地調査もやっていて面白い。 でも藪も切り開いた後だから、本当の苦労は判らなかったことだろう。

話が進展するかしないか、今後を見守ることとする。

論文は福島県建設協会のホームページに掲載されていたものと思われるが、現在はリンクが切れているようだ。

[13] 国道311号線(2), , http://3koku.uroneko.com/nr311-452.htm

R311は熊野市大泊町の大泊海岸交差点でR42と合流すると重複して和歌山県新宮市方面に向かう。鬼ヶ城トンネルを抜けると熊野市市街地に入る。市街地といってもR42(R311)は七里御浜に沿って海岸線近くを通る。交通量の多いR42を5kmほど進むと立石南交差点に到着。ここでR311はR42から単独分岐。ここから先、終点となる和歌山県西牟婁郡上富田町までR42と接することはない。

立石南交差点から単独分岐したR311は、平坦な2車線道となって熊野市有馬町の町中を進んで行く。跨線橋でJR紀勢本線を越えると町から離れて郊外の田畑の中を進んで行く。r141(県道鵜殿熊野線)との交差点を越えてホームセンター横を通り過ぎると、緩やかな左カーブを描きながら市道を過ぎ、ほどなくして2車線坂道となって山間に入って行く。金山トンネル(L=97m)を過ぎるとアップダウンが続く2車線道となり、立石南交差点から約3kmほどで熊野市金山町のr52(県道御浜北山線)との交差点に至る。

[14] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK06A.html

やっとたどり着いた旧金山トンネルであった。

ここまでは、他サイト様同様、旧金山トンネル見てきたぜ!! というレポになるのだが、オレ様だって少しは他サイト様とは変わったレポにしたい。という訳でこの後はちょいと予定とは違った展開になってしまったのだった・・・・・

この場所に来て気が付いたのは、この地点が意外と国道6号線に近いと言うことであった。現トンネル抗門から来る途中の高台から6号線を流れるクルマの姿を見ることが出来た。そして周りの景色を見ているとある特徴に気が付いた。抗門右上に見える石垣に見覚えがあったのだ。実は今回の探索にあたり、新たなルートが開拓出来ないか考えていたのだ。地図で見ると平面的には、従来の線路脇のルートよりも6号線から直接アプローチした方が距離的には断然近いのである。但し、激藪とかに行く手を阻まれるとどうしようもないのだが、実は今回ここに辿り着く前に6号線側からのアプローチに挑戦していた。そして、最後諦めた地点で確認した石垣にとってもよく似ていたという訳である。

そうとなれば、確認するしかない。このまま6号線まで行ってやるぞみたいな勢いでこの急斜面を攻略することにした。反対側は激藪で片足を突っ込むことも出来ない。右斜面も結構キツイのだが、U字溝脇を最短距離で登ることにした。よく見るとコンクリートに鉄のはしごが埋め込んであった。しかし、そこには土や枯葉が積もり、足元も不安定であったが、何とか最初の急斜面を登り切る。こりゃ登ることは出来ても、いざ下ろうと思うとキツイ感じもした。

[15] 帆越山トンネル旧道 – 日記的な何か, , http://morigen.net/blog/?p=2215

はい、 今日 は神社からこんにちは。

早速残念なお知らせですが、本当は景色見に来たんだけど何も見えなかったです。景色なら 前 に見たんだし、 今日は2人で来たことが大事。うん、そうだ。それに雨の日は滑るから(実体験)よしたほうがいいです。

そういうこともあって近くの旧道に来ました。

旧道に入ると右には神社があります。さっきの神社は本殿でこっちは里宮。神にお願い事するだけなら別に本殿まで行かなくてもいいんです。

カーブを曲がると覆道が見えてきました。

1車線幅で途中に急なカーブのある危険な覆道です。越波を防ぐためか海側はには小さな明り取りの窓だけのこしてコンクリートで塗り固めトンネルのように暗いのに灯器の類はありません。

徐行の徐の字間違えてますやん。

覆道の形が途中から変わりちょっと明るくなりました。幅は一部分だけ広がっていて、離合時の退避帯として使えそうです。

覆道を抜けると山側に大きな平場が出来てました。でも道路はいまだ中央線なし。

おっと先にはまた覆道がありました。

2本目の覆道。これも手前と奥とで壁の有無の違いがあります。

奥の方は越波を防ぐためか壁のある覆道ですが、未舗装かと思うほど地面は泥だらけ。川のように水が流れなきゃここまでにはならないでしょう。

覆道を抜けると舗装が無残に剥がれてました。

3本目の覆道。見てください右の巨大な擁壁を。やはりよっぽど越波がひどい地帯なんですね。

3本目の覆道は短くカーブしています。出た先は海側の岩壁が波除けの壁のように働いています。

そしてすぐに4本目の覆道。

この辺りが帆越岬の先端です。

短い5本目の覆道。

すぐさま6本目の覆道。これは始め壁が有りカーブして、後に柱だけになります。

覆道の中はなぜだか舗装が剥がされています。切り口がまっすぐで深さも一定。明らかに人為的です。

6本目の覆道の先は完全に道路が流されきって影も形もありません。

こういう状態が170m程続きます。

7本目の覆道です。舗装が復活してからはアスコンと普通のコンクリートが交互に敷かれています。

8本目、最後の覆道。

コンクリート塊のバリケードを乗り越したら現道の帆越山トンネルの坑口前に到着です。

今歩いたあんな危険な道とは1世代も2世代も違うなしょうしゃな帆越山トンネルです。道路はもちろん2車線、高さも幅も大型車両を優優通す立派なトンネルです。トン

[16] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK09a.html

めっきり涼しくなってしまった9月下旬とはいえ、一歩山に入ればご覧の様相。行く手をさえぎるヤブの中をタナとノコギリを振り回し突破。そして、およそ半年ぶりに旧金山隧道の富岡側抗門に立っていた。振り向いて今来たばかりのルートを撮影してみた。

今回は忘れない内に扁額の撮影と思ったのだが、何とメディアの入っていないデジカメを持参していた(ガーン!!)。

それにしても、今時のケータイって普通に撮影できて便利なもんです。

3月時点で既に抗口の端の土砂は流され、深い水路が出来上がっていた。今は溢れた水がチョロチョロと流れる状態になっていた。

これをもう少し掘ったらどうなるものかと、1ヶ月後にスコップを持って実験を開始していた。既に水が流れていた溝を5cm程掘り下げた。 この5cmがハンパなかった。 水たまりの面積が広いことから、5cmと言えども、その量もハンパじゃないのだ。土質が腐葉土みたいなものなので、水が流れ始めると、どんどん削られ水の流れも激しさを増していった。

これを繰り返せば、完全に水が抜ける日が来るかもしれないと、オヤジの自己満足的暇つぶしということで、今回三度目の来訪となったのだ。

履歴

[17] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933290698

メモ