国道49号

国道49号

[1] 国道49号

Webページ

[2] 国道49号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%9349%E5%8F%B7

国道49号(こくどう49ごう)は、福島県いわき市から新潟県新潟市へ至る一般国道である。

[3] 隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道 あの穴の正体編, , http://yamaiga.com/tunnel/honzongan/main2.html

本尊岩隧道の災害歴 『土木学会論文集No.722/III-61,315-330,2002.12 一般国道49号本尊岩地区岩盤斜面の安全性評価と防災対策』より転載

国道49号の本尊岩(ほんぞんいわ)隧道(昭和39年竣工)をここで紹介してから、既に5年が経過した。

本尊岩隧道といえば何と言っても忘れられないのが、現地でたまたま知り合った警察官が、「ここは日本一危険な隧道だ」と口にしたということだ。

何が危険って、右の図を見て貰えば一目瞭然である。

隧道がその基部を貫いている「本尊岩」が、ことあるごとに崩れているのだ。

そして、やがては致命的な崩壊に至る危険性が指摘されている。

無為に放っておけば北海道の豊浜トンネルで起きたような惨事が再現される可能性があり、5年前も既にそうだったが、全力での落石警戒態勢がいまも続けられている。

国道49号という東北と北陸を結ぶ幹線国道は、喉元に匕首を突きつけられた状態で働き続けているといっていい。

だが、このような危険で不安な状況も、ようやく終わりが見えてきた。

平成21年に着工された別ルートのバイパス「揚川改良工事」(揚川バイパス)の完成が平成24年度内と予定されており、順調にいけば2年以内に本尊岩隧道は旧道になることだろう。

…その後は、どうなるのか。

おそらく、隧道は通行止めになるのではないかと思う。

もしかしたら、岩盤を安定させる目的で、コンクリート充填のうえ完全密閉されてしまうかもしれない。

そんな余命幾ばくもないかも知れない本尊岩隧道には、前回のレポートでは解明せずに終わった、いわゆる“謎の遺構”が存在している。

ここから先をご覧頂く前に、前作を軽く一読されることをお勧めしたい。

何が“謎”だったのか、お分かりいただけると思う。

そして今回は、“謎”の答えが分かったというお話しだ。

“謎”を抱えたまま廃道になったら“浮かばれない”と思うので、ここに明かしておきたいと思う。

まずは何が“謎の遺構”なのか をはっきりさせよう。

右の写真は本尊岩隧道の福島側(東側)の風景で、正面奥に見えるのが現在の隧道である。

左はなみなみと水を湛える阿賀野川、正面にはまるで屏風のように切り立つ本尊岩であり、隧道無しでは決して突破し得ない地形である。

さて隧道はワーレントラスの芦田橋に接続して一連の道路となっている

[5] 第1回 国道342号 祭畤大橋 旧道 祭畤の地へ|RoadJapan 日本の道路、昭和の旧道を巡る旅, , http://ameblo.jp/roadjapan/entry-10344896660.html

今回紹介するのは、近い将来、旧道かつ廃道となるであろう、 国道342号祭畤大橋です。 大きな地図で見る 国道342号は、宮城県北部の内陸の地から、岩手県の一関市で国道4号を横断し、秋田県横手市で国道13号と合流して終点となる国道です。東北地方の山岳地帯を横断しつつも、太平洋の都市にも、日本海の都市にもたどり着くことの無い国道です。 国道4号線との合流点より、4車線の国道342号に左折します。 一関市街では4車線であった国道は、 間もなく2車線に変わり、山や河に囲まれた、 白い破線のセンターラインのカントリーロードとなります。 今も通行止めが続く区間があります。 祭畤温泉付近の集落まで辿り付く事が出来ますが、 地震の爪痕の痛々しい道路が続きます。 2008年6月14日午前8時43分、「岩手・宮城内陸地震」が発生し、岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測。震源地からわずか1.5キロの沢に架かっていた岩手県一関市厳美町の「祭畤(まつるべ)大橋」はV字に折れ曲がり崩壊しました。 秋田に向かう冬季閉鎖区間においても大きな被害を受け(平成22年秋まで通行止)、祭畤温泉付近の集落一帯が、2008年10月に仮設橋が完成するまでは完全に交通を失い、隔離されてしまいました。 2009年9月現在も仮設道路のみが通行可能であり、現国道は建設中であり存在しません。 ゆえに厳密には”旧道”ではなく、”現国道”であるのかもしれません。 途中、祭畤大橋以外でも国道342号線が寸断されており 一般車もすれ違えない市道を迂回し、 仮設橋を渡る箇所もあります。 …そして この先が 崩壊した姿が広くメディアに伝えられた、国道324号祭畤大橋です。 2009年9月、災害遺構として一部保存されることが決定しました。 なお、立ち入り禁止の柵の先には一切入らず撮影しております。多くの悲劇を生んだ地震の被災地ゆえに、撮った写真がもたらす影響は非常にナイーブです。立ち入り禁止を厳守することを強くお勧めします。 ■連載を最初の1回目から楽しむ方法! 現在連載中の第1回をクリックしまして閲覧しましたら ブログ左下の「<<第2回」をクリックしてください! この要領で、2回、3回、4回…と連続してご覧いただけると思います。

[6] 国道6号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%936%E5%8F%B7

概要 [編集]

陸上距離:345.5km

起点:東京都中央区(日本橋=国道1号・国道4号・国道14号・国道15号・国道17号・国道20号起点)

終点:宮城県仙台市宮城野区(苦竹IC=国道47号起点、国道45号交点)

主な経由地:東京都台東区・墨田区・葛飾区、千葉県松戸市・柏市、我孫子市、茨城県取手市・龍ケ崎市・牛久市・土浦市・石岡市・水戸市・ひたちなか市・日立市・高萩市・北茨城市、福島県いわき市・双葉郡双葉町・同郡浪江町・南相馬市・相馬市、宮城県岩沼市・名取市

指定区間:東京都中央区日本橋から宮城県仙台市宮城野区日の出町二丁目3番27(苦竹IC)まで<全線>[1]

本線(google マップ)

重複区間 [編集]

国道17号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋室町(室町三丁目交差点)

国道4号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋本町(本町三丁目交差点)

国道14号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋馬喰町(浅草橋交差点)

国道294号:千葉県柏市(呼塚交差点) - 茨城県取手市(国道294号入口交差点)

国道355号:茨城県石岡市国府(国府七丁目交差点) - 茨城県石岡市石岡(山王台交差点)

国道113号:福島県相馬市(塚の町交差点) - 福島県相馬郡新地町(駒ヶ嶺交差点)

国道4号:宮城県岩沼市(藤浪交差点[2]) - 宮城県仙台市宮城野区(苦竹IC)

歴史 [編集]

江戸時代の水戸街道(江戸 - 水戸)の役割を継承するものである。水戸より先は磐城街道、浜街道、岩城相馬街道などと呼ばれていたほか、明治に入ってからは両街道を併せて陸前浜街道と呼称した。

明治18年内務省告示第6号「國道表」では、水戸までが国道14号「東京より茨城県に達する路線」、水戸からが国道15号「東京より宮城県に達する別路線」となった。

大正9年施行の旧道路法に基づく路線認定で東京 - 仙台が国道6号「東京市より宮城県庁所在地に達する路線」となった。1952年(昭和27年)12月4日の新道路法に基づく路線指定では、旧6号がそのまま一級国道6号(東京都中央区 - 宮城県仙台市)となった。1965年(昭和40年)4月1日に、道路法改正によって一級・二級の差別がなくなり一般国道6号となった。

※1948年(昭和23年)から1966年(昭和41年)に茨城県内で行われた大規模改良工

[7] 国道401号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93401%E5%8F%B7

概要[編集]

会津若松市から会津美里町高田地内までは明治時代前半、三島通庸県令の会津三方道路整備から外れたこの区間を、柳津町軽井沢銀山と会津若松市を結ぶ「銀山新道」として整備した歴史を持つ。

路線データ[編集]

一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。

起点:会津若松市(北柳原交差点=国道49号交点、国道118号終点、国道121号重複、国道294号終点)

終点:沼田市(下川田町交差点=国道17号交点、国道120号・国道145号終点)

重要な経過地:福島県大沼郡昭和村、同県南会津郡南郷村[注釈 2]、同郡伊南村[注釈 2]、同郡檜枝岐村、群馬県利根郡片品村

路線延長:212.4km(実延長・現道87.1km)ほか未供用延長23.6km[2][注釈 3]

福島県区間:149.9km(実延長・現道101.7km)ほか未供用延長10.8km

群馬県区間:62.5km(実延長・現道33.2km)ほか未供用延長12.8km

指定区間:なし[3]

路線状況[編集]

バイパス[編集]

土出戸倉バイパス(群馬県)

椎坂バイパス(群馬県) ※国道120号との重複区間

通称[編集]

会津沼田街道

重複区間[編集]

国道118号、国道121号(会津若松市・北柳原交差点 - 城西交差点)

国道400号(昭和村・喰丸交差点 - 昭和村・佐倉交差点)

国道289号(南会津町・鹿水口交差点 - 南会津町役場南郷総合支所前)

国道352号(南会津町・内川交差点 - 檜枝岐村・七入駐車場付近)

国道120号(片品村・鎌田交差点 - 沼田市終点)

道路施設[編集]

トンネル・橋梁[編集]

日吉跨線橋(JR只見線・会津鉄道会津線)[4]

高田橋(阿賀川(大川))

松坂第一〜第四トンネル(福島県大沼郡会津美里町)

喰丸トンネル(福島県大沼郡昭和村)

道の駅[編集]

白沢(沼田市) ※国道120号との重複区間

車両通行不能区間[編集]

(福島県檜枝岐村)七入 - 赤法華 - 沼山峠休憩所 - 尾瀬 - (群馬県片品村)三平峠 - 岩清水 - 一ノ瀬休憩所 - 大清水小屋

この区間は登山国道、点線国道などと呼称される。

沼山峠休憩所から沼田市までの間は群馬県道・福島県道1号沼田檜枝岐線と重複している。

尾瀬周辺の環境に配慮して、七入から沼山峠休憩所を経由して岩清水ま

[8] 忘れられた陸中海岸(真木沢編)③ - ドラベル日記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ssstaff98/62862200.html

ダートのさみしい道路を降りてきて、真木沢海岸へたどり着きました。ここから先はルートが無いので、ルートの地図は記載しません<m(__)m>

[17] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK08.html

今年の春分の日は、昨年の金山隧道探索に続き、またもやメジャー物件を探索することにした。

今回のターゲットは、福島県いわき市の好間炭鉱専用鉄道跡の鬼越隧道。いわきと言えば、映画「フラガール」でも知られる通り、かつて常磐炭鉱で繁栄した街でもある。今回の物件はその遺構のひとつとも言えるものである。実はこの街は私の出稼ぎ先でもあり、物件は自宅から目と鼻の先というか、通勤ルートのすくそばに存在するらしいということは判っていた。

いわき中央インターから方面から国道49号バイパスを東進すると「スポットパーク好間」という看板のパーキングが現れる。たぶんこの辺かな〜と、クルマをパーキングに置き、いざ潜入!!

本当は内郷側の抗門は住宅地のすぐそばにあるようだが、余り人目には付きたくなかったので、好間側に来てしまったのだが、果たしてたどり着けるのか。

[18] 国道401号線 尾瀬大橋|Hi-ROAD, , http://ameblo.jp/hi-road/entry-11601356913.html

今回は尾瀬を目指してみました。

ところが、尾瀬ヶ原や尾瀬沼ってそうそう簡単にいける場所ではないんですね、、、恥ずかしながら知らなかった。

車が入れないのは知っていましたが、歩いて何時間もかかってやっと湿原にでるという。

だって地図では尾瀬沼の近くまで道が通っているじゃないか!

そうなんですそれが地図と現実の違いなのです。

一番楽しいやつですね(笑)

時間が少ないためやはり偵察といった感じで今回の「旅」も始まります。

ここが国道120号線と401号線が分岐し401号線の終点へ向かう道。

尾瀬大橋が見えてきました。

見てください。

何気なく見えているここからの区間は40km/hですよ。

この標識が変貌を遂げます。

この交差点が重複していた国道120号線と国道401号線が分かれるところです。

「鎌田」の信号の標識に小さく120と書かれているでしょ。

そしてここから橋を渡る道は国道401号線ですよと。

国道401号線はこの先「尾瀬」で途切れます、それは環境問題のために道を通せなかったからです。

橋をわたりながら説明します。

国道401号線

起点 福島県会津若松市から北柳原交差点、国道49号線との交点。

只見の手前で尾瀬方面へ国道401号線は進路をとりますが、尾瀬周辺が国立公園特別保護地域で車道が通せないばかりか、歩道以外の場所も立ち入りが禁止されている。

終点 群馬県沼田市、国道17号線との交点。

路線延長212kmに対して実延長87km。

未共用延長23kmというよだれが出そうなスペック。

群馬県と福島県は隣り合う県なのですが車道が通っていないんです。

だから群馬県から福島県へは車でいけないんですよ、おかしいでしょ。

それはこの「尾瀬」を挟んでしまった運命なのです。

分かれる国道120号線はこの先日光方面へ向かうが、ロマンチック街道になっているためいろいろ規制がある。

おそらくこのアンカーは問題おおありなのだろう・・

だってほとんど留まってないといっても過言ではない。

橋から下を覗き込めば、涼しげな景色。

こんな草と水がふと癒されること自体が病んでいる証拠なのだろうか・・・

そして道端には境界標が。

当然群馬県の国道なので「群巾」ですよね。

大体は県名が「千葉県」とか「埼玉県」とか彫られているのですが、群馬県は特別で「群巾」となっているんです。

この先メロディーライン

[19] 旧柴崎橋 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%9F%B4%E5%B4%8E%E6%A9%8B

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。

出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年5月)

概要[編集]

耶麻郡西会津町上野尻付近に位置する。橋の北西側では現在の柴崎橋(上野尻ダム)が阿賀川に架かっており、橋の南南西側には東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線上野尻駅が存在している。

本橋梁が架設される以前は、柴崎から上野尻へは阿賀川の渡船にて行われていたが、渡船途中に犠牲者が出ることもあって、本橋梁の架橋は長年にわたる地域の悲願であった[1]。1933年(昭和8年)12月16日に本橋梁の建設が2年計画の事業として県会議を通過、1938年(昭和13年)6月の本橋梁完成により交通事情は一変し、産業・経済はもちろんのこと日常生活にも大きな利便をもたらすこととなった[1][2]。

1958年(昭和33年)に阿賀川下流側への東北電力上野尻ダムおよび上野尻発電所の建設に伴い、その堰堤上を柴崎橋として福島県道338号上郷下野尻線が通ることになったため、本橋梁の供用が廃止された[1]。なお、撤去のための予算が無かったため、橋梁自体は解体・撤去せずに路床のみを撤去し、かつ上野尻方の橋桁の一部を落橋させて通行できないようにしており、供用廃止から廃橋状態のまま現在に至っている。

本橋梁は西会津町の名物橋梁として「福島百選」に選定されている[3]。

橋梁のデータ[編集]

種別 - 鋼道路橋

形式 - 下路式プラットトラス桁2連、プレストレスト・コンクリート桁1連

橋長 - 144.4m

幅員 - 4.35m

車線 - 1車線

竣工 - 1938年(昭和13年)6月

本尊岩隧道

本尊岩隧道

芦田橋

芦田橋

国道49号揚川改良

国道49号揚川改良

履歴

[21] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933278598

メモ