愛宕山横穴墓群

愛宕山横穴墓群

[1] 愛宕山愛宕山横穴墓群 (あたごやまよこあなぼぐん) , 蝦夷穴

38.2454166666667 140.8775

Webページ

[2] 愛宕山横穴墓群 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E5%B1%B1%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%A2%93%E7%BE%A4

愛宕山横穴墓群(あたごやまよこあなぼぐん)は、日本の宮城県仙台市太白区にある古墳時代の多数の横穴墓で、愛宕山の中腹に作られた。今も横穴として口を開いているものもあるが、土中から発掘されたもの、調査されないまま破壊されたものもあり、総数は不明である。そのうちの一つは、赤い顔料で玄室を彩った装飾墓であった。

[3] 愛宕山の横穴墓群と水力発電所跡 : ペンギンの足跡Ⅱ, , http://ciao66.exblog.jp/17322529

ちょっと曇り空の散歩です・・・いつもと違うところへ。 広瀬川を渡って来ました。さてここは何処でしょう? 広瀬河畔の「愛宕山横穴墓群」という遺跡です。

[4] 仙台市の遺跡, , http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/iseki/c0000000005.html

標高20〜28mの丘陵斜面にある飛鳥時代を中心とする横穴墓群である。これまで3つの地点より計33基の横穴が確認されている。この内、唯一装飾壁画をもつ1基の横穴墓からは5体分の人骨が出土しており、同時代における埋葬のあり方を知る上で非常に貴重な資料である。

※さらにくわしい解説はこちらへ

[5] 仙台愛宕下水力発電所跡(仙台愛宕下水力発電所導水トンネル) - 宮城・仙台 -義蜂ナマズの画像ブログ- - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/gibachinamazu/8167554.html

2012年1月3日撮影

宮城県仙台市太白区越路

EOS 50D + SIGMA 10-20mm F3.5 EX DC HSM

そこには、山肌から迫り出すコンクリ壁と、ポッカリ開いた穴と、朽ち果てた鉄扉があった。仙台愛宕下水力発電所跡。または仙台愛宕下水力発電所導水トンネルと呼ばれる場所だ。

仙台電気工業株式会社が大正9年(1920年)に建設されたもので出力470Wにて翌年開業、広瀬川大橋下流から愛宕にかけての川の蛇行範囲右岸の山(霊屋下地域)をショートカットするように隧道が掘られ、そこを流す水流により発電を行った施設の名残りである。昭和4年(1929年)頃には操業を停止していたとみられている。ここに隣接していた愛宕プールは発電所から導水していたとされ、昭和18年(1943年)まで存在した。

これまでUPしてきた数々の画像は、発電所へ水を流していた隧道の末端内部であり、その全景が上画像ということになる。内部にあったダブルアーチは水門であり、アーチの左右の壁にはスリットが設けられていたりする。頭上に開いたアーチ状の開口部は隧道内部を流れてきた浮遊ゴミ等の除去を行う作業口だったと思われる。水門付近の地下空間は存在意図が定かではないものの、発電所時代の何かの名残りだと思われるが、昔は近くに愛宕プールがあり、そこへ水を供給していたという話なので、そのための小規模な水路が地下化していた可能性もある。内部奥のコンクリブロック壁は水路を塞ぐように作られているため明らかに発電所閉所後に転用された時代に設けられたものであるが、何に使われたのかは分からない。また鉄扉は隧道内の水が溢れてしまう位置にあるため、発電所時代は水路との間に隔壁が存在したか、転用後に作られたものだと思われる。

[6] 青葉電気工業発電所跡探訪: Sakazuki's Note 2, , http://sakazuki.way-nifty.com/sakazukis_note/2012/02/post-ec1c.html

1月3日のこと。昼過ぎに仕事を終えて仙台愛宕神社へお参り。その後せっかくだからと某所へ足を運ぶ。広瀬川河畔の崖に並ぶ横穴墓をいくつか眺めつつ、本命の探訪先へと足を踏み入れる。

青葉電気工業発電所(仙台愛宕下水力発電所)跡。大正9年(1920年)に建設されたもので出力470Wにて翌年開業、広瀬川大橋下流から愛宕にかけての川の蛇行範囲右岸の山(霊屋下地域)をショートカットするように隧道が掘られ、そこを流す水流により発電を行った施設の名残りである。昭和4年(1929年)頃には操業を停止していたとみられている。ここに隣接していた愛宕プールは発電所から導水していたとされ、昭和18年(1943年)まで存在した。

最近はこの水力発電所跡について知る人も少なくなり、防空壕の跡だとか高射砲台だったんだとか、亜炭鉱山だったなどの噂?が普通に聞こえてくる。そんな水力発電所跡地、隧道の吐水側である愛宕付近を今回は探訪。

で、跡地を訪れた第一印象としては、噂もまんざら出鱈目に出ている訳じゃないんだなぁという印象。つまり、高射砲台だったと言われればそういう気にもなるし、防空壕だったと言われれば鉄扉もあり立派で要人なんかが利用したのだろうかとさえ思えてきたりもする。

自然の崖から出っ張るように築かれたコンクリートの壁に残る梯子。

割と高所に開いている直角に接したアーチ開口部。その周辺にはコンクリートの構造物が自然の崖と一体を成すように作り上げられている。

片方が朽ち落ちた鉄扉。広瀬川の流れの位置関係としては、右が上流側で左が下流側。川は撮影している背後を流れている。ここで水力発電所用の隧道が終わっていることになる。

ということで…鉄扉から内部へ入る。

鉄扉から真っ直ぐに見た内部。コンクリートで整えられた内壁が面を構成しているが、左の壁からは突き出た鉄骨が存在したり、右上には朽ちた鉄筋入りのコンクリ柱の名残があったりと、随分と時間を経てきている雰囲気が強い。

チラリと左側を見る。高所に開いていた直角隣接アーチ開口部は左上に位置。天面は不思議な曲線のつながりで構成されている。床面は一段高くなっているようだ。

一歩踏み込んで右側をチラリ見。得体の知れない四角いタンクらしきものが置かれている。そのタンクには“WHO DARES WINS”とステンシルでのスプレー文字が記されている。「挑む者のみ勝利する」

[7] 隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴 最終回, , http://yamaiga.com/tunnel/atago/main5.html

75分に及ぶ地底探索によって、我々3人は大都市の地下を1km以上移動していた。

地上に出ると雨が降っており、泥と土臭さが身に沁みた身体をゆっくりとではあるが洗い流そうとしてくれた。

周囲は公園で、テニスに興じる学生達の活気ある掛け声が我々の元にも届いてきた。

しかし、我々は半ば途方に暮れていたのであった。

もと来た穴に戻るのはゴメンだ。

しかし、置き去りにしてきた車へ戻るには、隧道を行くよりも遙かに長い4km近い道のりに耐えねばならない。

雨もさることながら、この泥まみれの身体で仙台駅付近の繁華街を通ることには躊躇いを禁じ得ない。

単純にめんどくさいというのもあるが…。

そんな一行のピンチを救ってくれたのは、仙台在住のオブローダー、はくちょう氏だった。(→氏のサイト『はくちょうnoお部屋』)

彼は、元々この日の探索に途中から合流する予定ではあったのだが、地下にいた我々と連絡を取るのに苦労していた。(洞内で細田氏が通話していた相手も、実は彼だった。)

だが、地上へ戻った我々の求めに応じ、彼は愛車を駆って我々を運んでくれたのである。

しかし…この時の我々3人は、“ただの人”ではなかった。

この汚れぶりである。

それを、幾らビニール袋を座席に敷いたとはいえ… 乗せてくれてありがとうございました!!

そんなわけで、はくちょう氏を加えて4人となった一行は、出発地点に戻った。

先ほど行き残してしまった“壁の向こう”を探索するべく、再び坑口へ向かう。

時刻は午前10時を少しまわっていた。

そして、戻ってきた。

この“樫の木おじさん”へ。

心霊系サイトなどでも、この場所は何かと曰くありげに紹介されたりしているが…気持ちがよく分かる。

なんというか、まあ、お地蔵さんもたくさん集まっているし、一種異様な雰囲気はある。

そして、この穴。

髑髏の眼窩のように見えはじめるともう、それ以外に見ることは不可能だ。

しかし、我々はあくまで冷静でいなければならない。

このような穴は、ざっと見た感じでも周囲に10くらいはありそうだった。

これらの穴の存在も、心霊スポットのように捉える人々にとっては、先ほどまでの水路隧道と同一視または混同されることがあるのだろうが、実は無関係である。

これらの小穴は横穴墓と呼ばれる、古代の墓穴遺跡なのである。

近くにあった案内板

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933277568

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