竜ノ口橋

竜ノ口橋

[1] 広瀬川竜ノ口橋

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[2] 青葉電気工業発電所跡探訪: Sakazuki's Note 2, , http://sakazuki.way-nifty.com/sakazukis_note/2012/02/post-ec1c.html

1月3日のこと。昼過ぎに仕事を終えて仙台愛宕神社へお参り。その後せっかくだからと某所へ足を運ぶ。広瀬川河畔の崖に並ぶ横穴墓をいくつか眺めつつ、本命の探訪先へと足を踏み入れる。

青葉電気工業発電所(仙台愛宕下水力発電所)跡。大正9年(1920年)に建設されたもので出力470Wにて翌年開業、広瀬川大橋下流から愛宕にかけての川の蛇行範囲右岸の山(霊屋下地域)をショートカットするように隧道が掘られ、そこを流す水流により発電を行った施設の名残りである。昭和4年(1929年)頃には操業を停止していたとみられている。ここに隣接していた愛宕プールは発電所から導水していたとされ、昭和18年(1943年)まで存在した。

最近はこの水力発電所跡について知る人も少なくなり、防空壕の跡だとか高射砲台だったんだとか、亜炭鉱山だったなどの噂?が普通に聞こえてくる。そんな水力発電所跡地、隧道の吐水側である愛宕付近を今回は探訪。

で、跡地を訪れた第一印象としては、噂もまんざら出鱈目に出ている訳じゃないんだなぁという印象。つまり、高射砲台だったと言われればそういう気にもなるし、防空壕だったと言われれば鉄扉もあり立派で要人なんかが利用したのだろうかとさえ思えてきたりもする。

自然の崖から出っ張るように築かれたコンクリートの壁に残る梯子。

割と高所に開いている直角に接したアーチ開口部。その周辺にはコンクリートの構造物が自然の崖と一体を成すように作り上げられている。

片方が朽ち落ちた鉄扉。広瀬川の流れの位置関係としては、右が上流側で左が下流側。川は撮影している背後を流れている。ここで水力発電所用の隧道が終わっていることになる。

ということで…鉄扉から内部へ入る。

鉄扉から真っ直ぐに見た内部。コンクリートで整えられた内壁が面を構成しているが、左の壁からは突き出た鉄骨が存在したり、右上には朽ちた鉄筋入りのコンクリ柱の名残があったりと、随分と時間を経てきている雰囲気が強い。

チラリと左側を見る。高所に開いていた直角隣接アーチ開口部は左上に位置。天面は不思議な曲線のつながりで構成されている。床面は一段高くなっているようだ。

一歩踏み込んで右側をチラリ見。得体の知れない四角いタンクらしきものが置かれている。そのタンクには“WHO DARES WINS”とステンシルでのスプレー文字が記されている。「挑む者のみ勝利する」

[3] 仙台愛宕下水力発電所跡(仙台愛宕下水力発電所導水トンネル) - 宮城・仙台 -義蜂ナマズの画像ブログ- - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/gibachinamazu/8167554.html

2012年1月3日撮影

宮城県仙台市太白区越路

EOS 50D + SIGMA 10-20mm F3.5 EX DC HSM

そこには、山肌から迫り出すコンクリ壁と、ポッカリ開いた穴と、朽ち果てた鉄扉があった。仙台愛宕下水力発電所跡。または仙台愛宕下水力発電所導水トンネルと呼ばれる場所だ。

仙台電気工業株式会社が大正9年(1920年)に建設されたもので出力470Wにて翌年開業、広瀬川大橋下流から愛宕にかけての川の蛇行範囲右岸の山(霊屋下地域)をショートカットするように隧道が掘られ、そこを流す水流により発電を行った施設の名残りである。昭和4年(1929年)頃には操業を停止していたとみられている。ここに隣接していた愛宕プールは発電所から導水していたとされ、昭和18年(1943年)まで存在した。

これまでUPしてきた数々の画像は、発電所へ水を流していた隧道の末端内部であり、その全景が上画像ということになる。内部にあったダブルアーチは水門であり、アーチの左右の壁にはスリットが設けられていたりする。頭上に開いたアーチ状の開口部は隧道内部を流れてきた浮遊ゴミ等の除去を行う作業口だったと思われる。水門付近の地下空間は存在意図が定かではないものの、発電所時代の何かの名残りだと思われるが、昔は近くに愛宕プールがあり、そこへ水を供給していたという話なので、そのための小規模な水路が地下化していた可能性もある。内部奥のコンクリブロック壁は水路を塞ぐように作られているため明らかに発電所閉所後に転用された時代に設けられたものであるが、何に使われたのかは分からない。また鉄扉は隧道内の水が溢れてしまう位置にあるため、発電所時代は水路との間に隔壁が存在したか、転用後に作られたものだと思われる。

[4] 隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴 第4回, , http://yamaiga.com/tunnel/atago/main4.html

午前8時55分、入洞より50分を経過。

泥沼と化した廃水路らしき隧道は、なおも続いていた。

相変わらず一本の紐が壁に添って掛けられており、ときおり数字が書かれたビニールテープが取り付けられている。

その数字は徐々に減り続けており、現在“600”程度。

始めに見たときには“1160”だったが、この数字が出口までの距離である事を信じ、前進を続けていた。

階段付きの横穴を過ぎて以来、洞内に目立った変化はなく、淡々と隧道は続いていた。

我々が発する僅かな言葉と水音だけが、空虚な洞内に揺らいだ。

【腐れ動画 (784kb)…食事中閲覧厳禁】

…久々に横穴だ…。

向かって左、山側に向かって整わない断面の横穴が口をあけていた。

どうも山側に向かう横穴は不気味である。

水路なのだとしたら尚更、山へ向かう横穴は意味が分からない。

総素堀の内壁。

横穴には奥行きはなく、横穴と言うよりもむしろ、本坑に面した部屋のような大きさだ。

洞床もやや高くなっており、水没を免れている。

水路と知って興味を大部分失った細田氏は相変わらず無言だし、トリ氏もなんとなく嫌な気を感じるのか全く入ろうとしない。

私も余りいい気はしなかったが、この奇妙な圧迫感のある横穴へ身を潜らせてみた。

じっとりと沈滞した空気が重苦しい。

何か、本当に嫌な物(具体的に何といわれると困るが)を見るとしたら、おそらくこんな場所かも知れないと、そう思ってしまう。

地面には、思いがけない物があった。

よく野外の空き地や道路端で見るような、赤いボタン状の鋲。

おそらくこれは、行政で設置している境界標の一つだと思うが、まさかこのような地下空洞の一室にあろうとは誰が想像できようか。

部屋の中央に一つだけ見つけたが、この隧道内にも仙台市政は及んでいるということなのか。

安心するどころか、むしろ気持ち悪い気がした。

何か、意味がある空洞だったのだろうか…。

横穴を過ぎて更に進むと、そう行かずにまたしても側壁に大きな穴が空いていた。

今度はコンクリで巻かれている壁を、強引に破壊したかのように乱暴に口が開いている。

その上、本坑の左右両側に穴はあった。

ハテナマークを頭上に点灯させながら、まずは川側の穴を覗き込んだ。

しかし、これまでのパターンと違って、その先に僅かでも外の明かりは見えなかった。

それどこ

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933276675

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