真室川森林軌道

真室川森林軌道

[1] 真室川森林軌道 (まむろがわしんりんきどう) , 真室川林鉄

Webページ

[2] 廃線レポート 真室川森林鉄道 高坂ダム周辺区間, , http://yamaiga.com/rail/oosawagawa/main.html

このほか、レポート化していない探索も多少あるが、基本的に真室川林鉄に対する私の印象は、東北の他の多くの森林鉄道と同じく、比較的穏やかな地形を舞台に活躍した路線である。

だが、この写真のシーンを知っていたならば、印象は少し変わっていたはずだ。

こんな場面が真室川林鉄にあったのか。

これはどこなのか。果たして今も遺構はあるだろうか。この規模である。道路になったり、ダムに沈んだりしていなければ、十分に残っているはずだが…。

ならば、こんな凄まじい絶壁の風景と共に、 まだ見ぬ隧道が2本も存在することになるのである!

私が最後に真室川林鉄の探索をしたのは2006年であり、だいぶ時間は空いてしまったが、再訪する必要があると考えたのは、写真に気付いた2013年春のことだった。

【周辺図(マピオン)】

同じ写真を見て興奮していた人物は、もちろん私だけでは無かった。

そして、私よりも素早く行動を起こした人物がいた。

この時のメールのやり取りをきっかけに、以後何度も貴重な情報を提供してくださることになる尾花沢市在住の 酒井氏 もその一人である。

以下に同氏から2013年5月に戴いたメールの一部を転載する。

早速情報ですが、山形県ホームページ近代化産業遺産真室川森林鉄道の6番目の写真(隧道と隧道の間を運材車とDLが走行)が気になり、地形図から高坂ダム付近に在るのではないかと思い、雪解け直後に現地にて隧道があるのを確認しました。 雪解け直後は遠目での確認だったので、間近で写真を撮りたいと思い、本日ダム見学ということで高坂ダム管理事務所の許可を得て職員の方と同行し、ダムすぐ下流の橋の上から撮ることができました。内、1枚写真を添付いたします。

添付されていた画像は携帯で撮影されたものか、サイズが小さく鮮明では無かったが、確かに白黒写真と同じ地形の場所は現存していて、さらに隧道が口を開けていることが見て取れた。

加えて、 「現場は高坂ダムすぐ下流」 という、極めて有力な情報!! これで探索の決行が決まった。

…というような流れで探索へ向かったのであるが、その本編を開始する前に、舞台の説明をしておこう。

幸い、最近になって「 近代化遺産 国有林森林鉄道全データ(東北編) 」のような優れた資料が入手出来るようになったので、過去のレポートよりも正確に概要を説明することが出来る。

[4] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/mamurogawa/main.html

今回の探索は、時系列的には「道路レポ 真室川森林鉄道」→「隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 2号隧道」→

「本レポ」 という順序になっている。

過去の二本のレポをご覧頂ければお分かりの通り、探索は困難を極め、すでに日が落ちている。

輪行して秋田へと帰る直前、もう一本だけ頑張ったのが、この「一号隧道」である。

この攻略に成功すれば、安楽城線の三本の隧道を確認したことになるのだ。

長い一日の戦いの、最終幕をご覧頂こう。

まずは周辺地図から、今回の探索対象の位置を確認しておこう。

図中の赤と青の線が真室川林鉄であり、それぞれ安楽城線と小又線である。

この二線については、同時に存在していたものなのかどうかは、はっきりしていない。

ただ、安楽城線は非常に危うい路線だったという印象がある。

一方、小又線については、それなりの保守が行われていたのではないかという印象だ。

今回は、図の三滝分岐とJR釜淵駅との間にあった隧道をねらい打つ。

なんせ、既に日が落ちているもので、隧道以外をチェックしている余裕など無かった。

なお、この隧道については、既に『山形の廃道』さんによる詳細なレポがあり、私もこれを事前に拝読していたので、埋められているという三滝側の坑門の捜索は行わず、釜淵側のみ探索したことを予めお断りしておく。

16時12分、2号隧道からチャリをとばし、20分足らずでJR奥羽本線釜淵駅へとたどり着いた。

あとは、この駅から秋田行きの列車に乗れば、今日の旅は終わることが出来る。

辛い旅だったので、ほっと一息といったところだ。

だが、もう一がんばりしよう。

すぐ近くに、隧道が眠っているはずなのだ。

目指す隧道は釜淵駅から1kmほど北西の山中へと林道を進んだ先にある。

林道自体は軌道に沿って敷設されていた、もしくは軌道を廃止した後に建設されたのかも知れないが、丁度軌道敷きを左に見ながら、緩やかに杉林の中を登っていく砂利道だ。

軌道敷きの大半が林道の横に残っていたのは意外だった。

そして、事前に情報を得ていたとおり、「森林理水試験地」の標柱が左に現れた。

軌道は、ここからは林道から分かれて、左の低湿地に堤を築いて進んでいた。

ここまで、駅から5分足らず。

実は少し迷った末だったが、あっという間だった。

チャリを置き、それらしい築堤に分け入る。

[6] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/mamurogawa/main.html

真室川森林軌道について、探索時に私が持っていた情報は少ない。

それは、現地が遠く、私の町の図書館ではほとんど情報が得られなかったためだ。

私に与えられた情報には、以下の二つがあった。

一つは、私がこの探索を計画した原因であり、また、本路線について知るきっかけとなったWEBサイトの存在である。

それは、おなじみ『山形の廃道』だ。

そして、サイト内で公開されている「真室川町の歴史民族資料館に存在する路線地図」の画像を、作者様の好意によりお譲り頂いたものが、今回唯一の“軌道の描かれている地図”であった。

そして、もう一つは、「JTBキャンブックス刊 全国森林鉄道」の巻末に収録された全国の軌道リストである。

そこには、真室川営林署の管轄する路線として二本が示されている。

小又線 (2級) 延長12.4km 昭和6年〜39年

大沢川線 (2級) 延長8.9km 昭和18年〜40年

このデータに、頂いた地図(下)と、現在の地図を見較べて、可能な限り出発前に経路を予想した。

推定される経路は、殆どが現在の道路と異なってる。

途中には3本の隧道が、ほぼ等間隔に描かれていて、それぞれの延長が80・120・180mということも、地図から分かる。

特に、最も西よりの180mの隧道の前後は、付近に道路もなく、かなりの困難が予想された。

路線の起点は奥羽本線の釜渕駅、左の図は今回探索部をトリミングしているが、終点は鮭川の最上流部にあったようで、その付近は現在、高坂ダムに水没している模様。

また、ダム付近からはさらに西側の郡境部の山域へと延びる路線も描かれており、この支線を、併走する河川名から「大沢川線」と断定した。

となると、本線の正式名称は消去法により「小又線」となる。

地図を良く見ると、途中に「下小又」と書かれた場所を通過しており、この名を裏付ける。

それでは、実際に真室川森林軌道「小又線」の探索の成果を、紹介していこう。

今回探索の対象としたのは、鮭川沿いで、国道344号線からのアクセスが容易な高坂地区から、山中を隧道と共に貫き、小又、三滝を経て、起点釜渕へと至る部分だ。

情報の少ない状態からの、体当たりでの軌道跡探索は、これまでに無い多くの困難を伴うものとなった。

真室川町 差首鍋 高坂地区

今回の探索の起点は、真室川町差首鍋(さすなべ)地

[12] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/mamurogawa2/main2.html

15時40分。

本日の目的である真室川林鉄安楽城線三つの隧道攻略の、その二つめの隧道の坑口へ、ついにたどり着いた。

この隧道だけに絞って見ればえらいスピード発見であったが、既に廃隧道へ進入するには些か遅い時間である。

しかも、明らかに内部も無事では無さそうな、この坑口のご様子。

毎度お馴染みの、「覗き込む」坑口である。

装備を隧道用に変更する。

ちなみに、私の隧道装備とは…

1.長靴と軍手

2.ヘッドライトと、手持ちの懐中電灯

3.デジカメを首掛けにする

−以上である。

…肝心の物がない?

それって、もしかしてヘルメットのこと?

スミマセンです。皆様はちゃんとメットをかぶって入洞してくださいね。

私も、近いうちには何とかします。

覗き込む坑口の奥は、案の定著しい荒廃を見せている。

出口の明かりなどという物は、当然のように見えない。

とりあえず、地形的に懸念していた水没もなく、洞床に降りることが可能そうなので、湿った瓦礫の斜面を全身を使って降りる。

かび臭さがツンと来る淀んだ空気。

視界を遮る黒を凝縮したような闇。

内部は、素堀のままであり、左右には朽ちて崩れかけた支保工が並んでいる。

そこには、慣れた廃隧道の空間があった。

しかし、いくら慣れても、慣れ親しむと言うことはない。

背筋に冷たい定規を当てられたような不愉快な緊張感は、しかしある種の快楽も伴う。

平凡な日常からの脱却を最も象徴的に感じられるのが、私の場合こんな場所である。

坑口から10mほど進むと、隧道の様子が驚くほど一変した。

それまでの木の支保工に代わり、大量の錆びたレールが、まるで生物の肋骨のように露出している。

本来は内壁の形状に沿って馬蹄形に形成され、支保工の役目を果たしていた物と思うが、向かって右側の内壁の崩落が著しく、この土砂に押しつぶされるように、殆どのレールが醜く歪み、ただの障害物と化している。

私は、この光景を前に殺気を感じた。

無惨な崩落現場を多く見てきたが、その多くは…うまく言えないが“無機的”な姿に見えた。

だが、ここはもっと、生々しい。

私が最初、このレールに露出した肋骨をイメージしてしまったことに起因するのだろうが…。

この様子には、「崩落」という言葉よりも、『圧死』を連想した。

崩れ果てた瓦礫の上を歩き、さらに

[14] 廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡, , http://yamaiga.com/rail/motokiyosumi/main14.html

以上をもって、現時点における「小坪井軌道」に関する現地調査レポートは終了だ。

それを踏まえて、 路線の全体像は右図 のようなものであったと考えている。

以下、解説する。

起点は、地元の人が「真崎」と呼ぶ、片倉集落近くの笹川沿い低地にあって、貯木場と製材所が置かれていた。

起点を発した軌道は、間もなく木橋で笹川の右岸へ渡り、全長150mほどの隧道 (貫通確認) を通じていた。

隧道を抜けると間もなく、平成12(2000)年に完成した片倉ダムの堤体に突っ込み、以後は湖底の区間となる。

起点から片倉ダムまでの距離は、約1.1kmと推定される。

更に進むと、坪井沢と笹川の合流地点があり、軌道はここから坪井沢沿いに入る。

それから「分岐A」地点に差し掛かり、ここで坪井沢沿いの本線と、田代川の谷へ向かう「支線A」が分かれる。

片倉ダムから「分岐A」までの距離は、約0.6kmと推定される。

「支線A」は、坪井沢と田代川の水系を隔てる小高い山を全長300m前後の長大な隧道 (南口のみ発見) で抜け田代川の谷に入ると、やや下流方向に逆走して現在の衛星管制センターの南辺りに注ぐ支谷(名称不明)に入っていたらしい( 第三の証言者の地図 情報)が、 未探索 である。

「支線A」の全長は、約1.8kmと推定される。

本線の軌道は東進の過程で、坪井沢の激しい蛇行の一つを短い隧道で抜けていたが、この隧道は水没のため 未発見 である。

ビル沢出合を通過してから南進に転じ、小坪井沢と本坪井沢の出合に至る。この辺りが笹川湖の通常水位におけるバックウォーターである。

「分岐A」から出合までの距離は、約1.3kmと推定される。

小坪井沢の谷に入り、蛇行する谷底を小桟橋や簡易築堤の連続で遡り、「分岐B」に到達する。

「分岐B」では、そのまま小坪井沢沿いを遡る路線(支線B)と、尾根を越えて本坪井沢の上流部に抜ける路線(本線)に分岐するが、第三の証言者の地図には「支線B」が描かれていないので、実際は軌道が敷設されていなかった可能性もある。

出合から「分岐B」までの距離は、約1.2kmと推定される。

また、 「支線B」の全長は、約0.4kmと推定される。

軌道は小谷に沿って東進すると、間もなく小坪井沢と本坪井沢を隔てる尾根を全長300m前後の隧道で貫通して本坪井沢の上流部に入

安楽城林道

安楽城林道

小又林道

小又林道

履歴

[15] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933275808

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