祭神[編集]
岩筒雄命(いわつつおのみこと)と、相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀る。
岩筒雄命は火の神である迦具土神より生まれ、経津主神の親神にあたるという。赤城姫命は一説によると神社を創建した大胡(おおご)氏の息女と伝わり、別当寺である東覚寺の本地仏であった。
由緒[編集]
鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる[1]。 寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された[2]。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。
『江戸名所図会』では「赤城明神社」として紹介され、大胡重泰(おおごしげやす)により創建されたこと[3]、牛込の鎮守であり別当寺は東覚寺(天台宗)であることなどが記されている。
歴史[編集]
年表[編集]
正安2年(1300年):大胡彦太郎重治が上野国赤城神社から勧請し、牛込早稲田の田島村に創建。
寛正元年(1460年):太田道灌により牛込台に遷座。
弘治元年(1555年):大胡宮内少輔により現在地に遷座。
天和3年(1683年):江戸幕府により江戸大社に列する。
天保13年(1842年)3月7日:火災により、社殿全焼。後に再建。
明治元年(1868年):明治維新に際し、名を赤城神社と改める。
明治6年(1873年):郷社に列する。
明治9年(1876年):横寺町の北野神社(朝日天満宮)を、境内社として遷座。
昭和20年(1945年)4月13日:太平洋戦争の戦災により、社殿全焼。
昭和26年(1951年)10月:本殿を再建。
昭和34年(1959年)5月:拝殿・幣殿を再建。
昭和37年(1962年)10月:境内社の出世稲荷神社社殿を再建。
平成17年(2005年)10月:戦災で焼失していた境内社の北野神社を、蛍雪天神として再興[4]。
平成20年(2008年)3月:境内に隣接し、資金面で支えていた私立赤城幼稚園が閉園。
平成22年(2010年)9月:「赤城神社 再生プロジェクト」に伴う建て替え完成。
平成23年(2011年)10月:2011年度グッドデザイン賞受賞。
再生プロジェクト[編集]
平成21年(2009年)から22