今回は、弘前側坑門から外へと脱出してみた。
やはりこの雪の下にも、レールが現存しているのであろうが、まだまだ深い積雪のため判明しない。
路盤の上にも容赦なく小さな枝が雪を破って生えており、夏場のアプローチはより難しいに違いない。
緩んだ雪は私の体重を支えることが出来ず、ズボズボと埋まる。
坑門を背に左を見れば、ほんの20mほど先に、現在線の(新)大釈迦トンネルが口を開けている。
このような矩形断面の鉄道トンネルは、地方では余り見られないものだ。
これは、このトンネルが一般的な山岳工法ではなく、開削工法(一旦地表を隧道の深さまで掘り返して施工し、最後にまた埋め戻す工法)によって造られたことを示す。
いわば、今潜り抜けてきた旧線がスノーシェードによって成していた雪よけを、現在線はトンネルの開削工法による延長によっていると言える。
そして、これまた鉄道トンネルとしては珍しく、立派な扁額が存在する。
新大釈迦トンネルは総延長2240mと、矢立峠を貫いている矢立トンネル3180mには及ばないが、長いトンネルである。
未だ雪に閉ざされた旧トンネルの姿。
詳しいことは不明だが、地形的に見て、人工的に開削された凹地に鉄道を敷き、屋根のようにスノーシェードを設置したように見える。
トンネル上に見える青いポニートラス橋は、農道用のものだ。
坑門には施錠されたフェンスがゲートの役目を果たしており、私はそこを乗り越えてきたが、パタ氏がまだ中に残って、私を見つめていた。
こちらの南京錠もこじ開けようとした者があったのか、破損していたが、まだ鍵として機能していた。
私は、パタ氏にも乗り越えることを促した。
彼は、今回初投入となる「I・Oデーター製のムービーデジカメ」のスイッチを入れると、坑門の様子を実況中継し始めた。
ひとしきり実況すると、彼もまたフェンスによじ登った。
今度は、二人で線路脇の斜面によじ登り、スノーシェードを跨ぐように架けられた農道橋を目指した。
残雪に足をとられながらも、このタスクをやり遂げ、狭い橋の上から新旧の線路を一望することが出来た。
見ている内に、一帯にけたたましいサイレンのような警報が鳴り出した。
すぐに、弘前側からこちらへ向かってくる列車の姿を我々は見た。
列車は大釈迦駅を通過してきたらしく、相当の速度で接近してくる。