矢立トンネル

矢立トンネル

[1] 矢立トンネル

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[2] 隧道レポート 湯ノ沢の謎の穴, , http://yamaiga.com/tunnel/yatate/main2.html

この日はみぞれが降っているような気温である。

地底湖の水は凍ってこそいないが、その冷たさは皆様が想像するとおり。

よく言われるとおり、冷たいという感覚はすぐに傷みによって麻痺する。

が、それで終わりじゃないんだな。

不思議なもので、なんか“かゆ暖かい”感じになるんですよ。ええ。

危険デスとも。下半身が危険。

さらに長時間を経過するといよいよ感覚は薄れてきて、やがてゴワゴワ感(ズボンのこすれる感覚)だけが感じられるようになる。

水面上にうすら白い顔を見せる、不気味な案山子のようなもの。

その正体は、農協の肥料の袋であった。

袋がかぶせられている“棒のようなもの”が何なのかは、袋を外さなければ分からない。

しかし、袋には太字で「くみあい尿素」とあって、いかにも薬品っぽい白地の袋と相まって手を触れたくないオーラが出ていた。

成分が残っているわけもないのだが…。(ちなみに尿素は無毒である)

それにしても、“くみあい尿素”とは、なんともシュールなネーミングだと思う。

水深は腰丈少し下で安定した。

ホッとしたと同時に、すぐに引き返す口実も失われてしまった。

いずれにしても、決着を早く付けないとやう゛ぁい。

まだ入水してから1分くらいだが、もう腰から下がポカポカ暖かくなってきた。

しかし、私のそんな苦悩を無視して、洞内の光景は変化し始めていた。

ここまで完全にコンクリート巻きだったものが、素堀にコンクリート吹きつけへと変わる。

また、洞内の断面はさらに大きくなり、肋骨のような鋼鉄製の補強剤が現れ始める。

かつて何度か侵入した、採石場などのダンプやトラックが通る作業隧道に似ている。(一例はこちら)

坑口から斜坑を100mほど下った所から水が溜まっているが、そこが最深部である。

そこで45度北寄りにカーブしてからは、地底湖と化した隧道が平坦に続いている。

続いていると言ってもたいした距離もないのだが、結構な水深があるので歩くペースは遅い。

焦って水を散らせばカメラを濡らしかねないし、最悪転倒すれば目も当てられない。

ちなみに洞床にはコンクリートが敷かれている。

それは隧道が私に差しのべた救いの手か、徐々に水深が浅くなり始めていた。

これで本来のペースで探索が出来る。

そう思った矢先のことだった。

何か、別の、大きな空洞が見えてきたのである。

[4] 奥羽本線 矢立峠付近の旧線遺構その2, , http://homepage2.nifty.com/bobsatoh/haitetsu/haitetsu4-2.html

意味不明穴へ続く橋は、上部こそ鉄板が敷かれているが、その下には木の土台があった。昔は木橋だったのだろうか。またそのすぐ近くには石の橋台があった。

このあたりはまったく意味不明。さすが意味不明穴の関連遺構だ?

で、意味不明穴の前に立ったのだが、入口は実に奇怪な形で入り組んだ鉄パイプが世界のサトアツの侵入を拒んでいた。

一応南京錠がついていたので、開けるときもあるのだろうが、いったいどんな理由で存在しているのか不明だ。

隧道内部を撮影してみた。

意味不明な外見と違い、内部はしっかりとしていた。

後でいろいろ調べてみたところ、このトンネルは奥羽本線の矢立トンネルにつながっているらしく、おそらく保線用の連絡トンネルなのだろう。それならそれで分かるのだが、だったら入口の奇怪鉄パイプも何とかしたらという気持ちになった。

すっきりしたところで、先ほどの矢立第一隧道の秋田側の調査に戻ることとする。

矢立第一隧道秋田側抗門近くにやってきた。

この付近には朽ち果てたペンションが10棟以上もあった。全部腐っていた。

この付近にはあいのり温泉の廃墟もあり、バブルの頃の思い出がたくさん詰まっている廃墟でちょっと感動した。

あー廃墟はどうでもよかった。隧道見に行こうっと。

[6] 奥羽本線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E6%9C%AC%E7%B7%9A

起点である福島駅から米沢駅までの区間はいわゆる峠越えでも名高い板谷峠を越える。後節でも触れているが、ここは蒸気機関車時代からの難所であり、電化・高速化および標準軌化によるミニ新幹線が直通運転されるようになった後も、冬季は雪害による遅延や運休が生じやすい。米沢駅から秋田駅まではほぼ奥羽山脈の西側に沿う様な形で進路をとる。途中、山形駅までは蔵王連峰の山々、山形駅から先はしばらく月山の山を望みながら北上する。秋田駅から男鹿線と分岐する追分あたりまでは海こそ見えないが日本海沿いを通り、東能代駅まで八郎潟の東岸を通る。東能代駅から進路を東にとり大館駅を過ぎると再び奥羽山脈に沿う形で北上し矢立峠を越える。越えた後は弘前駅・浪岡駅などの津軽平野の中を西側に岩木山を望みながら走り青森駅へと至る。

運行形態[編集]

路線名称としては1つであり、かつては寝台特急「あけぼの」、急行「津軽」など、全線通しで運転する列車も存在したが、山形新幹線・秋田新幹線開業とそれに伴う一部区間の標準軌への改軌により、従来の1,067mm軌間専用車両で運転される優等列車は、1999年12月4日の山形新幹線新庄駅延伸に伴うダイヤ改正で「こまくさ」が快速列車に格下げ(2002年12月1日ダイヤ改正で廃止)になって以降は秋田駅以北のみの運転となり、普通列車も運行系統としては以下の4つの区間に分かれている。

福島駅 - 新庄駅間[編集]

詳細は「山形新幹線#運行形態」および「山形線#運行形態」を参照

山形新幹線「つばさ」が走行する区間である。板谷峠という難所が途中に存在する。新幹線からの直通列車を走らせるために標準軌に改軌されている都合上、この区間を走行する車両を新庄駅以北へと運転することは不可能になっている。また、この区間の在来線普通列車は「山形線」の愛称が付けられ、奥羽本線の他区間と区別されている。運行形態は基本的に福島駅 - 庭坂駅・米沢駅間、米沢駅 - 山形駅間、山形駅 - 新庄駅と3つの区間に分けて運転されている。

新庄駅 - 大曲駅間[編集]

山形・秋田県境の辺境区間で、普通列車や快速列車のみが設定されているが、かつては他区間と同様に昼夜問わず優等列車が運転されていた。新庄駅 - 秋田駅間を直通する普通列車に加え、院内駅・湯沢駅・横手駅 - 秋田駅間・新庄駅 - 真室川駅間の区間列車が設定されており、1

[7] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/daishaka2/main5.html

今回は、弘前側坑門から外へと脱出してみた。

やはりこの雪の下にも、レールが現存しているのであろうが、まだまだ深い積雪のため判明しない。

路盤の上にも容赦なく小さな枝が雪を破って生えており、夏場のアプローチはより難しいに違いない。

緩んだ雪は私の体重を支えることが出来ず、ズボズボと埋まる。

坑門を背に左を見れば、ほんの20mほど先に、現在線の(新)大釈迦トンネルが口を開けている。

このような矩形断面の鉄道トンネルは、地方では余り見られないものだ。

これは、このトンネルが一般的な山岳工法ではなく、開削工法(一旦地表を隧道の深さまで掘り返して施工し、最後にまた埋め戻す工法)によって造られたことを示す。

いわば、今潜り抜けてきた旧線がスノーシェードによって成していた雪よけを、現在線はトンネルの開削工法による延長によっていると言える。

そして、これまた鉄道トンネルとしては珍しく、立派な扁額が存在する。

新大釈迦トンネルは総延長2240mと、矢立峠を貫いている矢立トンネル3180mには及ばないが、長いトンネルである。

未だ雪に閉ざされた旧トンネルの姿。

詳しいことは不明だが、地形的に見て、人工的に開削された凹地に鉄道を敷き、屋根のようにスノーシェードを設置したように見える。

トンネル上に見える青いポニートラス橋は、農道用のものだ。

坑門には施錠されたフェンスがゲートの役目を果たしており、私はそこを乗り越えてきたが、パタ氏がまだ中に残って、私を見つめていた。

こちらの南京錠もこじ開けようとした者があったのか、破損していたが、まだ鍵として機能していた。

私は、パタ氏にも乗り越えることを促した。

彼は、今回初投入となる「I・Oデーター製のムービーデジカメ」のスイッチを入れると、坑門の様子を実況中継し始めた。

ひとしきり実況すると、彼もまたフェンスによじ登った。

今度は、二人で線路脇の斜面によじ登り、スノーシェードを跨ぐように架けられた農道橋を目指した。

残雪に足をとられながらも、このタスクをやり遂げ、狭い橋の上から新旧の線路を一望することが出来た。

見ている内に、一帯にけたたましいサイレンのような警報が鳴り出した。

すぐに、弘前側からこちらへ向かってくる列車の姿を我々は見た。

列車は大釈迦駅を通過してきたらしく、相当の速度で接近してくる。

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933269147

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