くらがりやぐら

くらがりやぐら

[1] 住吉城跡くらがりやぐら

Webページ

[2] 新編鎌倉志巻之七, , http://homepage2.nifty.com/onibi/kamakurasi7.html

新編鎌倉志巻之七

やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇

鬼火へ

新編鎌倉志卷之七

[やぶちゃん注:「新編鎌倉志」梗概は「新編鎌倉志卷之一」の私の冒頭注を参照されたい。底本は昭和四(一九二九)年雄山閣刊『大日本地誌大系 新編鎌倉志・鎌倉攬勝考』を用いたが、これには多くの読みの省略があり、一部に誤植・衍字を思わせる箇所がある。第三巻より底本データを打ち込みながら、同時に汲古書院平成十五(一九九三)年刊の白石克編「新編鎌倉志」の影印(東京都立図書館蔵)によって校訂した後、部分公開する手法を採っている。校訂ポリシーの詳細についても「新編鎌倉志卷之一」の私の冒頭注の最後の部分を参照されたいが、「卷之三」以降、更に若い読者の便を考え、読みの濁音落ちと判断されるものには私の独断で濁点を大幅に追加し、現在、送り仮名とされるルビ・パートは概ね本文ポイント平仮名で出し、影印の訓点では、句読点が総て「。」であるため、書き下し文では私の自由な判断で句読点を変えた。また、「卷之四」より、一般的に送られるはずの送り仮名で誤読の虞れのあるものや脱字・誤字と判断されるものは、( )若しくは(→正字)で補綴するという手法を採り入れた。歴史的仮名遣の誤りは特に指示していないので、万一、御不審の箇所はメールを頂きたい。私のミス・タイプの場合は、御礼御報告の上で訂正する。【 】による書名提示は底本によるもので、頭書については《 》で該当と思われる箇所に下線を施して目立つように挿入した。割注は〔 〕を用いて同ポイントで示した(割注の中の書名表示は同じ〔 〕が用いられているが、紛らわしいので【 】で統一した)。原則、踊り字「〻」は「々」に、踊り字「〱」「〲」は正字に代えた。なお、底本では各項頭の「〇」は有意な太字である。本文画像を見易く加工、位置変更した上で、適当と判断される箇所に挿入した。なお、底本・影印では「已」と「巳」の字の一部が誤って印字・植字されている。文脈から正しいと思われる方を私が選び、補正してある。【テクスト化開始:二〇一一年十二月十二日 作業終了:二〇一二年一月二十一日】]

新編鎌倉志卷之七

〇小町 小町コマチは、若宮小路ワカミヤコウヂの東より南へ折クジけて行、夷堂橋ヱビスダウバシまでの間を云。【東鑑】に、建久二年三月四日、小町大路コマチヲホヂの邊ヘン失火

[3] 住吉城 - 風雅庵の日々, , http://blog.goo.ne.jp/fuga_an/e/759ffd76e8f46d08cdad3871a60266a0

小坪の町の山際、海前寺から神明宮への途中にある

山道を登って行くと、望洋邸というマンションの横に出ます

警戒厳重ですので、通り過ぎて「ぼんばた橋」を渡って、

振り返ると、「ぼんばたけ」の向こうに望洋邸がそびえてます。

車道に出るので小坪トンネルの方へ歩きます

134号線の飯島トンネルです。これからあのトンネルの上を回り込みます。

トンネルの上の扇山を主峰とする丘には住吉城があったそうです

住吉城址実測図です(「逗子市住吉城址」より)。先ほどの「ぼんばたけ」に家臣の邸、

「げんじヶ谷」に住吉城(城主の館?)があったと言われてます。

住吉隧道、このトンネルをくぐると正覚寺、

記主良忠上人が鎌倉に来て住み着いた悟真寺です

正覚寺の裏山には住吉社があり、住吉城址の板が置いてありました。

戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香がこの山城にこもって、

北条早雲の軍勢と戦いました。道寸と道香兄弟の奮戦もむなしく

戦いに敗れ、道寸は三浦の新井城へ逃れ、道香は逗子の延命寺境内で、

家来たちと自害したと伝えられています。

住吉城は山城ですから、近世の城のように天守閣も石垣もありません。

自然の地形をうまく利用して、攻め寄せる敵を防いだものと思われます。

祠の横にトンネルがあります。が、出口は封鎖のようです。

鎌倉攬勝考などに出てくる「くらがりやぐら」は

このあたりから「げんじヶ谷」へのトンネルのことと思われます。

「げんじヶ谷」に邸宅が建ったときに閉じられたとのこと、志村源太郎(大正12)、

幣原喜重郎(大正15)、五島慶太、秀吉魁(昭和31)らの邸宅になったそうです。

小坪海岸トンネルの上に現在の「げんじヶ谷」に立つ豪邸が見えます。

SMAPの香取慎吾さんの別荘という噂です

六角の井戸を通って光明寺に戻りました

[4] 自宅にトンネル!: 三浦半島なんでも探偵団 ~B面~, , http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-fd03.html

さて、直線階段の果て、山の中腹にあった謎のトンネル入口が気になって眠れません。(笑) オリジナルサイトではこれまでいろんなトンネルを取り上げてきましたが、あのトンネル入口は、”謎度” No.1ですね。

さて半島にはもう一つ謎めいたトンネルがあります。 なんと、とある自宅の敷地内にトンネルがあるんですよ。

これがその入り口。 白い円形の屋根見たいのが入口の門で、その隣の三角屋根が守衛所みたいです。 そこから写真左の方に登っていって、木の陰にトンネルがあるのがわかるかな? ここんちはこのトンネルをくぐった先の山の上にあるようなんです。

この門と守衛所からして、個人宅なのか、どっかの会社の保養所なのかよく分かりませんが、ここの門を通らないと辿り着けないようなので、このトンネルがここの専用のモノであることは確かだと思います。

どういうお宅なのかよくわからないので、さすがにここだけは”関係者”のふりをするわけにも行かず、昨日から続く謎だらけの展開に、寝不足が続きそうです。

[5] 自宅にトンネル! その2 ~謎の邸宅 in 小坪~: 三浦半島なんでも探偵団 ~B面~, , http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-20c1.html

トンネルだらけの三浦半島ですので、いろんな変わり種トンネルがあります。 10年前にそれらを探しに行った成果をオリジナルサイトに残していますが、それ以外で新たに発見された物はこちらのB面で紹介して行こうと思います。

さて2月に紹介した、自宅にトンネルがある物件ですが、詳しく調査してみたいと思いきや、それが許される状況では無さそうなのでしばらくは遠くから指をくわえて見ているしか無さそうです。 あのような物件は滅多にないと思われるだけに、残念だなあ。

ところがどっこい、地図上ではありますが、同様な物件をもう一つ発見してしまいました! 場所は逗子マリーナの横。

逗子マリーナの横とは言っても、入口はR134側にあります。 この入口から母屋までは私道が続いています。 地図上で測定すると、150mから200m位ありそうです。 その途中が山になっていて、そこにトンネルを掘ってある、という構造。

でも入口からじゃトンネルは見えないし、第一この門、表札はないし、だけどALSOKがガッチリガードしているようだし、怪しさプンプン。

ちなみに左前方に見えるのは、私道横に現在建設中のマンションで、これが完成すればそこから私道トンネルの入口は見えるようになるのではないかと想像しています。

じゃあ母屋はどこにあるのかというと、逗子マリーナ横の崖の上にあるんです。 写真右上に見える白い家がそれ。 ちなみに左下に見えるのは小坪海岸トンネルです。

この崖、ほとんど垂直に切り立ってますので、マリーナ側からは全くアプローチできません。 つまりここ、マリーナを見下ろしてはいますが、入口は海とは反対側にある私道トンネルのみ、ということで鉄壁のガードを誇っているわけです。

とはいえ、どこかにほころびがあるのではないかと思って、地形図を見ながら歩いてみました。 等高線から推察するに、住吉ずい道方面から山に入れば可能性がゼロでは無いように見えます。

ということで一旦小坪海岸トンネルを通って海側をUターンして住吉ずい道へアプローチする道に来ました。 ここから先はかなりの登りになります。

坂の途中、山中に伸びている怪しげな階段を発見! 階段があると言うことはその先に道があると言うことでしょうから、行ってみたい度200%、だったのですが、残念ながらこの階段、民家の庭から延びていることが判明したため、アプロ

[6] 隧道レポート 小坪のゲジ穴, , http://yamaiga.com/tunnel/kotubo/main3.html

2007.3.31 8:50 【逗子市小坪 住吉神社境内】

戦国時代の山城があったという小高い丘の南向き斜面の一角、訪れる人も稀な住吉神社の境内に、その穴は果たして実在した。

これが、数十年前の地形図には記載されていた隧道なのだろうか。

正直言うと100mばかり、地図上の位置とは異なる感じもするのだが…。

まあこの程度なら、当時の地図の正確性を考えれば誤差の範囲と言えるだろう。

坑口の前で目を引く存在は、この水の溜まった直径60cmほどの円形の穴だ。

溜まっている水は泉の底から湧いているのではなく、岩場からしみ出した水がここに流れ込んで溜まっている。

おそらく、それを見越してこの穴は水溜として掘られたものだろう。

ここは城跡と言うことで、どうしてもその関連の中で物事を考えたくなるが、単純に住吉神社の御手洗の泉として掘られたと考えるのが自然だろう。

或いは、住吉さんと言えば海の神様であるから、境内に海原を模して泉を設けたのか。

いずれにしても、隧道とは直接関連はないだろう。

では、内部へと進入する。

一切塞がれていないどころか、立ち入り禁止の立て札一つ無い。

これでは子供も喜んで入っていきそうだが、何も危険はない穴なのだろうか。

むしろ、拍子抜けするほどだ。

地図では100mほどの長さで描かれていたが、とりあえず狭い坑口から出口の光は見えない。

内部で曲がるか、或いは勾配でもあるのだろうか。

古くは大正時代の地形図から記載されているほどだから、人力だけで掘ったに違いあるまい。

また、その後現代に至るまで、人以外が通行したことも、おそらく無いだろう。

ちなみに私も、神社の石段の下にチャリは置いてきてしまった。

まあ、どうせ通り抜けは出来ないのだから構わない。

山の反対側は、マンション工事現場なのだから。

内部は意外に乾いている。

周囲は粘土質の岩盤で、良く安定しているようだ。

特に崩壊している箇所もなければ、亀裂なども見あたらない。

そして、結構な勾配(5%程度)で上っている。

その断面は円形に近く、平均の幅が1.5m、高さは2.4mくらいだろうか。

狭いは狭いが、人以外が通らない穴だとすれば十分なサイズである。

廃隧道なのかどうかもはっきりしない感じで、今も使われていると言われればそれも信じられるくらい。

特に荒れて

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933264043

メモ