明神トンネル

明神トンネル

[1] 奥只見シルバーライン明神トンネル

Webページ

[2] 十二屋 分岐のあるトンネル 駒ヶ滝トンネル, , http://www.geocities.jp/p_road12/tunnel/tn_bun_myoujin.htm

新潟県道50号小出奥只見線(奥只見シルバーライン)にある分岐トンネルです。「明神(17号)トンネル」の途中に丁字路があり、第三の坑口につながる短いトンネル=「白光岩トンネル」が接続しています。

タイトルは「明神トンネル」としていますが奥只見シルバーラインのトンネル達はいづれも写真撮影しづらいこともあり写真は「白光岩トンネル」部ばかりとなっています。

[3] 道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第五回, , http://yamaiga.com/road/okutadami/main5.html

6.4kmにも及ぶ連鎖隧道を遂に脱出。

現在地は起点から約10km地点である。

黒又川源流部最大の谷である明神沢が道の左手に清楚な流れを見せており、道中唯一の川沿い区間となっている。

しかし、この明かり区間もまた、長く続くことはない。

途中に100mほどのスノーシェッドがあり、これを除くと約500mの地上部分である。

そして、夏の熱気に嫌みを感じる間もなく、再度、隧道の坑口が現れる。

またも、あの幽明な闇の淵へ連れ去られるというのか。

さして沢を遡るでもなく、隧道の長短など頓着しなかったかのように、何気なく山にぶつかるその地点に、その坑口は開いていた。

次のトンネルが、シルバーラインにとって最も重要な一本となるだろう。

それは、信濃川水系から阿賀野川水系へと、大分水界を乗り越え只見川源流へと達する、峠越えの隧道である。

坑口前には、車30台くらいが停められそうな広大な敷地がある。

しかし、緊急避難所につき駐車禁止である旨の立て看板がある。

その一角に、一本の棒が立っていた。

そこには、目盛りが刻まれている。

1m、2m… 上の方は5mの赤い文字を最後に、さらにもう1m分くらいは目盛りが続く。

シルバーラインの3年に及ぶ工事に動員された延べ180万人の労働力。

そして、工期中の殉職者はなんと44人にも上ったという。

うち、凍死や雪崩での死者が17人もあったというほどの、極寒の地なのである。

「この先2.1km」という補助標識が示すのは、世にも珍しい隧道内交差点および信号機の予告だ。

次の隧道は、日本の道路トンネル史上において特筆すべき稀少工例を多く含む、シルバーライン最大の隧道である。

坑口前の離れになったシェルター状の建物は、もうおなじみになった電気室だった。

3989.50メートル

昭和32年開通当時、一般道路ではなかった(ダム専用道路)とはいえ、紛れもなく日本最長の道路トンネルであった。

(なお、翌年昭和33年に、黒四ダムを建設するために大町トンネル…全長約6100m〔現・関電トンネル〕が開通している。)

平成17年度現在でも、無料の一般道路のトンネルとしては、なお全国6位付近にある。

長い!ちょー!長大!!

この17号トンネルが、言うまでもなくシルバーラインの最長である。

明神トンネルともいい、越後山脈分水嶺を乗り越え

[4] 国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所 | 亀の瀬 | 亀の瀬を楽しむ | JR関西本線と亀の瀬隧道, , http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/outline/landslide/enjoy/tunnel.html

亀ノ瀬トンネル(隧道)は、かつて国鉄(運営事業体は数度変化)関西本線の河内堅上駅―王寺駅(現在では三郷駅)間に存在したトンネルの名称です。

「亀ノ瀬トンネル(隧道)」は大阪、奈良間における最初の鉄道は大阪鉄道(現関西本線)によるもので、明治22(1889)年に着工、明治25(1892)年1月に完成し439メートルの長さがありました。さらに大正13(1924)年には先の単線トンネルとはコースを変えて、長さ703メートルの単線トンネル2本が設けられ線路が増設(復線化)されました。大正期のトンネルは路線増設時に新たに掘削されたものですが、大阪行きのトンネルの西口より246メートルは明治期のトンネルの一部を活用していました。つまり、奈良方面から大阪方面へ向かう列車は大正期の坑門から入り、明治期の坑門から出ていたことになります。

昭和6(1931)年11月に始まる大規模な亀の瀬の地すべりにより、亀の瀬トンネル内で壁面に亀裂が発生、昭和7年2月1日、関西本線は運転を中止。2月4日トンネルは崩壊し、閉鎖されました。上下線がそれぞれ崩壊したことから路線は急遽対岸へ移設(現路線)され、以来トンネルはその姿を表すことはありませんでした。

平成20(2008)年11月、亀の瀬地すべり対策工事の一貫で行なわれていた地下水排除を目的とした排水トンネル工事の掘削推進中に、坑口より約30m地点でレンガ構造の旧国鉄トンネル下り線(大阪方面行き)、約50m地点で上り線(奈良方面行き)が発掘され、亀ノ瀬トンネルの一部がほぼ当時の原形をとどめた状態で発見されました。

亀ノ瀬トンネルの内部構造の煉瓦組積法は起拱線から下部の側壁はイギリス積みを採用し、上部のアーチは長手積みとなっていました。また、上方には蒸気機関車の通過で付着した煤煙が確認されました。これらのうち、排水トンネルとの交差部から離れた旧下りトンネルの王寺方39mを、約120年前のトンネルの貴重な遺構として保存されることとなり、現在、地すべり見学会に合わせて公開されています。

JR関西本線は亀の瀬地すべりに翻弄されてきました。現在のJR難波駅(旧称湊町駅)−奈良駅間は大阪鉄道会社が明治21(1888)年に政府に路線変更を申請して、翌22年5月に湊町から柏原駅に至るまでの区間が開業しました。

この線の主要工事は亀の瀬隧道(トンネル)を含む3つの隧道

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933262438

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