国道345号

国道345号

[1] 国道345号

Webページ

[2] 国道345号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93345%E5%8F%B7

国道345号(こくどう345ごう)は、新潟県新潟市中央区から山形県飽海郡遊佐町に至る一般国道である。

[3] 隧道レポート 国道345号旧道 大正浦隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/taishou/main.html

風雅な名を持つこの隧道は、かつて一度「山行が」で紹介済である。(道路レポート『国道345号 笹川流れ』)

短い隧道であり、封鎖された出入り口の隙間から内部を反対側まで容易に見通すことが出来た。

そのため敢えて無理して内部へ入ることはせず、レポートでも簡単に流していたのだが、後日重大な事実を知ることとなった。

実はこの隧道。

とんでもなく 古い隧道 だったのである。

新潟県村上市から日本海に沿って山形県庄内地方へと北上するルートは、南半分を国道345号、北側を国道7号が分担しており、通して「日本海夕陽ライン」の愛称名を持つ。

中でも、特に複雑な海岸線を多くの隧道や橋で繋ぐ国道345号は、景勝地「笹川流れ」の道として、夏季を中心に多くの観光ドライバーで賑わう。

しかし、昭和40年代以前までここを無事に通過する車道はなく、隣り合う漁村同士を結びつけるだけの崖路が主なものであった。

その当時から20本を優に超える数の隧道が存在しており、個性的な命名を受けていたが、その全てが後の車道改築によって放棄、もしくは開削、または見る影もなく拡幅された。(前出のレポをご覧下さい。)

表題の大正浦隧道もまた、そのような経緯を辿った隧道の一つである。

道の駅「笹川流れ」の北側に多くの隧道が集中しているが、本隧道はその南側にある。【マピオンで位置を見る】

とりあえず、改めて行った現地調査の模様をご覧頂こう。

2007/11/4 13:52

【新潟県村上市馬下(まおろし)】

現在の国道345号を新潟側から北上する場合、村上市街地を出て一本目のトンネルが馬下隧道で、これは昭和62年に出来た比較的新しいトンネルである。

そして、間もなく国道はひときわ海へと近づく。

いや、実はそこは既に海の上である。

多くのドライバーは、この爽快な眺めによって「笹川流れ」に近づいたことを知るのだ。

馬下大橋は、海へ突きだした小さな岬を大胆にも弓形カーブで海側に迂回する橋だ。

このような“力技”が昔からあったはずもなく、平成元年3月開通である。

釣り人にとってはこんなに楽な釣り場も無いかも知れない。

なにせ、磯の真上にまでアスファルトの快適な道が延びているのだから。さらには、おあつらえ向きな日影まで海面に落としている。

この日も大勢の釣り人が付近に車を停めて、橋上から糸を垂らしていた

[4] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/utomari/

おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。

それは、現在の岩船郡山北町。

かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。

異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。

それは、ほぼ現在の国道345号線勝木〜村上間に相当する路線だった。

隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。

なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27本もあるが、そのうち11本までが車道幅員2m以下なのである。

おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。

最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。

そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。

「道路レポート 笹川流れ」が、それである。

そして、以前のそのレポートにおいては、「どうやら現隧道に改築されているようだ」と断じてしまった「鵜泊隧道」なのだが、実は、

あったんです。

旧隧道が、ちゃんと!

前回レポート終了直後に、どうやらそれらしいものを見つけたとの情報を、相互リンク先『<ahref="http: target="another" "="" members.at.infoseek.co.jp="" shinkdx="">越の山路』管理人shin氏より頂戴していたのですが、このたび、行って参りましたので、ご紹介致します。

この場を借りて、shin氏ならびに、『山形の廃道』fuku氏への感謝の意を表させて頂きます。

かつての主地道「村上温海線」も、国道345号線に昇格して久しく、並走する国道7号線が交通の動脈である所を補佐し、また観光誘導を行う、重要な路線となっている。

山北町勝木(がつぎ)で7号線と分かれた同国道は、鵜泊・寒川(かんがわ)などの日本海岸漁村風景と、巨岩そそり立つ絶壁海岸とを繰り返しつつ、村上市を目指す。

かつての道路レポと重なる区間ではあるが、新発見を交えつつ、勝木〜鵜泊をレポートしていく。

無論、メーンは新発見の旧鵜泊隧道である。

この日は、2005年2月9日。

秋田県内では、私の住む秋田市ですら、積雪が30cmを越えて

[5] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/utomari/main.html

おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。

それは、現在の岩船郡山北町。

かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。

異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。

それは、ほぼ現在の国道345号線勝木〜村上間に相当する路線だった。

隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。

なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27本もあるが、そのうち11本までが車道幅員2m以下なのである。

おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。

最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。

そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。

「道路レポート 笹川流れ」が、それである。

そして、以前のそのレポートにおいては、「どうやら現隧道に改築されているようだ」と断じてしまった「鵜泊隧道」なのだが、実は、

あったんです。

旧隧道が、ちゃんと!

前回レポート終了直後に、どうやらそれらしいものを見つけたとの情報を、相互リンク先『<ahref="http: target="another" "="" members.at.infoseek.co.jp="" shinkdx="">越の山路』管理人shin氏より頂戴していたのですが、このたび、行って参りましたので、ご紹介致します。

この場を借りて、shin氏ならびに、『山形の廃道』fuku氏への感謝の意を表させて頂きます。

かつての主地道「村上温海線」も、国道345号線に昇格して久しく、並走する国道7号線が交通の動脈である所を補佐し、また観光誘導を行う、重要な路線となっている。

山北町勝木(がつぎ)で7号線と分かれた同国道は、鵜泊・寒川(かんがわ)などの日本海岸漁村風景と、巨岩そそり立つ絶壁海岸とを繰り返しつつ、村上市を目指す。

かつての道路レポと重なる区間ではあるが、新発見を交えつつ、勝木〜鵜泊をレポートしていく。

無論、メーンは新発見の旧鵜泊隧道である。

この日は、2005年2月9日。

秋田県内では、私の住む秋田市ですら、積雪が30cmを越えて

[7] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/katigi.html

<はじまり>

秋田から概ね日本海に沿って新潟まで南下する国道7号線が、一度内陸へ進路を変える部分がある。

それが、山形県山北町勝木がつぎから、村山市街までの区間だ。

この区間で、国道7号線の代わりに、海沿いを走るのが、国道345号線である。

実際ここを走ってみて感じるのが、国道7号線のこの不可解な遠回りは、“迂回”なのではないかということだ。

それほど、この区間「笹川流れ」は、陸路の難所と感じられる。

まずはその始まりの地、勝木をレポートする。

新潟県山北町 勝木がつぎ

[8] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/imagawa.html

<廃隧 砂の穴>

根込隧道を後にしてまもなく、JRの駅もある今川集落が現れた。

この辺りの集落はどこも険しい山々を背にしており、南北に貫く国道と鉄道のみが他の地域への交通手段となる。

こういった場所に暮らすことの苦労は、想像を越えるものがあるのだろう。

新潟県山北町 脇川集落内

[9] 国道345号 笹川流れの隧道群その6, , http://homepage2.nifty.com/bobsatoh/haido-zuido/haido-zuido7-6.html

笹川流れの中心地点にある道の駅笹川流れである。ここはJR桑川駅と併設という形をとっていた。

シーズンオフなのだろうか、思ったよりも全然人がいなかった。そのため大変気楽だ。というかこんな観光地で作業服着てリュック背負っているほうがおかしいだろう。そしてその人間(またはシロクマ)が青森から来ました、と言えばさらにビックリすること間違いナシだ。

さすがに汗びっしょりの作業服のまま道の駅には入ることは少々抵抗があり入ることができなかったが、桑川駅は大丈夫だろうと思い見てみることとした。

桑川駅は2面3線の駅で結構大きめであった。この駅は土・日とかに臨時列車の「きらきらうえつ」が停車するのだが全然問題ないようだ。

ちょうどこのとき時計を見たら13時40分くらいだったので、遅くなったが簡素な食事(ソイジョイ2本プラス自販機で買ったセブンティーンアイス)をとり、再び歩き始めることとした。

昼食をものの10分足らずで終了し(量が量なので当然だが・・・)、笹川流れの中心部をあとにする。

正直に言うと、この先には隧道はほとんど存在しないため、ほとんど散歩というかウォーキングに近い感覚で歩いていたような気がする。

笹川流れ中心部を離れて最初に出てきた隧道は「鳥越トンネル」であった。

そういえばトンネルの名称に「○○トンネル」というような表現のものって結構少ないような気がする。「弘法トンネル」位か?あとのやつは大概「○○隧道」というような名前だったような気がする。

まあ今回は「隧道群」の探索なのだから、隧道という名称のほうがうれしいし、何より燃える!!!

鳥越トンネル脇にまた海蝕洞があったのだが、この海蝕洞は今までのとは若干違い、由緒ある穴のようだ(笑)。

入ることはしなかったが、この海蝕洞の内部は鱗のようなデザイン?をしており、今では年2回の交通安全などの祈願法要をしているとのことであった。

しかしこのあたりの海蝕洞は結構形のいいものばかりに感じた。三陸海岸にも結構あるのだが、こっちのほうがより幻想的に感じたかもしれない。

それじゃ鳥越隧道、もとい鳥越トンネルを抜け次の「隧道」に向かっていく。

鳥越トンネルを抜けて間もなくして、大正浦隧道が現れた。その右側を現国道は海上に橋を通してスルーしている構造となっている。

この大正浦隧道は、大規模な改修は昭和41年に

[10] 笹川流れ - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E6%B5%81%E3%82%8C

笹川流れ(ささがわながれ)は新潟県村上市にある海岸。国の名勝および天然記念物に指定されている地域で(1927年指定「笹川流」)、日本百景にも選定された県下有数の海岸景勝地である。笹川流れの笹川とは集落名(1889年まで存在した「笹川村」、現・村上市笹川)で、この笹川より沖合いの岩場まで潮流が見られたことが名の由来とされる。

[編集] 概要

下述の『日本地名辞典』によれば、一般に知られる笹川流れは広義での意味であり、狭義ではその中で北半分のみを指すとある。鳥越山から狐崎までの全長11キロメートルで、その間に無数の奇岩、絶壁、洞穴が連続する。眼鏡岩、びょうぶ岩、ニタリ岩、恐竜岩、蓬莱山などの奇勝があり、観光船で探勝できる。

国道345号(日本海夕日ライン)とJR羽越本線が海岸に並行して走っている。JR羽越本線桑川駅と併設されている「道の駅笹川流れ」から日没時にはきれいな夕日が眺められる。

また、この笹川流れ海岸付近の羽越本線は、C57やD51などの蒸気機関車が活躍していた1960年代中期からのSLブームの頃からの鉄道写真撮影の名所としても知られ、夏は風光明媚で冬は荒々しい海岸沿いを行く列車を撮影する数多くの鉄道ファンで賑わっている。

一帯は瀬波笹川流れ粟島県立自然公園に含まれる。

[編集] 交通アクセス

JR羽越本線桑川駅より徒歩15分。また、JR村上駅より車で30分。

[編集] 関連項目

名勝

地質・鉱物天然記念物一覧

新潟県の観光地

[編集] 参考文献

浮田典良、中村和郎、高橋伸夫監修『日本地名辞典』笹川流れ」の項 小学館 ISBN4-09-523111-4

[編集] 外部リンク

国指定文化財 データベース(文化庁)

新潟県庁:新潟県の文化財一覧(平成20年4月1日現在)

笹川流れ - 村上市

[11] 日本海夕日ライン - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%A4%95%E6%97%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

[編集] 概要

新潟県の海岸線を南北に縦貫する、延長約337kmの道路で、新潟県が観光振興を目的に指定したものである。国道や県道・市道の他、臨港道路も含まれる。

この「日本海夕日ライン」のうち、村上市から山形県鶴岡市温海地区(かつての温海町)のあつみ温泉に至る区間は、国土交通省北陸地方整備局が「日本風景街道プロジェクト」の一環として、観光など地域活性化を目的に両県・両市などと共同で、2007年秋に「北陸風景街道」に指定している。なお、両市間の風景街道としての愛称は「日本海パークライン」である。

なお、日本海東北自動車道沿線にあたる新潟県と山形県、秋田県、青森県の4県と沿線各市町村などによって構成され、同自動車道の早期全線開通と行政・経済での交流強化などを図る組織として1988年(昭和63年)に結成された組織は「日本海夕陽ラインネットワーク協議会」という名称であるが、この「日本海夕日ライン」とは直接的な関係は無い。

[編集] 構成される道路

国道7号 伊呉野(村上市・山形県境) - 勝木交差点(村上市)

国道345号 勝木交差点 - 笹川流れ - 瀬波上町交差点(村上市)

村上市道瀬波1号線 瀬波上町交差点 - 瀬波海岸なぎさ通り - 瀬波温泉丁字路(村上市)

新潟県道3号新潟新発田村上線 瀬波温泉丁字路 - 岩船三日町交差点(村上市)

岩船港臨港道路岩船港線 岩船三日町交差点 - 上ノ山交差点(村上市)

国道345号 上ノ山交差点 - 桃崎浜交差点(胎内市)

国道113号 桃崎浜交差点 - 白勢町交差点(新潟市北区) - 平和町交差点(新潟市東区)

新潟港臨港道路入舟臨港線 平和町交差点 - 新潟みなとトンネル(新潟市中央区)

新潟市道中央3-176号、新潟市道中央1-186号ほか(海岸道路) みなとトンネル西詰交差点 - 水族館前丁字路 - 新潟青陵大学前交差点(新潟市中央区)

新潟市道寄居浜線1号、新潟市道関屋浜松町浜浦町線ほか 新潟青陵大学前交差点 - 新潟大堰橋・浜浦橋東詰(新潟市中央区)

国道402号(新潟海岸バイパス) 浜浦橋 - 青山海岸・小針浜 (新潟市西区)- 五十嵐三ノ町(新潟市西区)

国道402号 五十嵐三ノ町 - 越前浜(新潟市西蒲区) - 角田浜(新潟市西蒲区)

国道402号(越後七浦シーサイドライン) 角田浜 - 間瀬田ノ浦 - 寺泊野積

[12] >大正浦隧道 新潟県-隧道-廃道-林道, , http://www.geocities.jp/tezou333/aa-niigata-6.htm

日本海を左手に国道345号線を北上して行くとそれは現れた

不自然な形で岩に突き刺さる落石防護は強烈なインパクトで

多くのチン物件を見てきた私ですらドキュンとしたほどだ

現道はと言うと完全に海へと突き出している

大正浦隧道

旧国道345号

1966年(S41)竣工 全長34m 幅4.7m 高さ4m

現道の完成と共に 平成元年 廃止となった

この姿は昭和41年に竣工されたものだが調査資料の中には穴自体は明治以前の1858年(安政5年)竣工との話もある

極太の柱は度重なる地震の影響なのか 何か強い力が加えられて崩壊寸前である

決して規模的には大きな穴ではないが この柱は大迫力だ

大きな声やクシャミをしただけでドカーンと天井が落ちてきそうで恐怖を感じる

二重のバリケードで侵入を制止している

ズームアップで奥を覗きこむと 穴は吹き付け処理のみでゴツゴツとしており

少し向こうには出口の明かりが見える

こちら 反対側も同じような感じだ

路面にはセンターラインがうっすらと残っており 穴の前後の道路は四輪同士の離合が可能だったようだ

しかし口径は微妙に狭く完全なる二車線であったのかは疑問が残る

聞えてくる波の音は大きく体を揺さぶる

廃止となった今では恐らく我々のようなマニア以外の訪問者は皆無であろう

[13] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/wakigawa.html

<廃隧 狭くなる穴>

JRの駅もある寒川の集落を過ぎ、さらに2kmほど南下すると脇川に至る。

ここで遂に、廃隧道に出会ってしまった。

それも、とびっきりに奇妙なヤツだった…。

新潟県山北町 松陰第一隧道

脇川集落にはいるとまもなく見えてきたトンネル。

松陰第一隧道といい、昭和27年の竣工だ。

だが、改良を受けているようで、やや狭いながらも2車線を確保している。

で、現道を黙って走ってゆくと、次に現れるトンネルは蓬莱第一隧道となる。

注意深いドライバーなら、「あれ、松陰第二はないの?」となるはずだ。

そう、現道に、松陰第二はないのだ。

[14] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/negomi.html

<海食洞の交差点>

蓬莱山から1km余りで、穏やかな砂浜は、再び巨大な岩山に阻まれる。

そこには、自然が作り上げた精巧な隧道が、静かに口を開いていた。

宝屋隧道

僅か1kmほど南下すると、再び現れた岩山が道を塞いでいる。

そこに現れるのが、「宝屋隧道」である。

短い隧道なのだが、落石よけのごつい庇(写真で白いペイントの施された部分である)が前後に設置されており、重量級のデザインとなっているのが面白い。

それと、もう一つ気になることがある。

おなじみ「山形の廃道」さん提供の『隧道リスト』によれば、この隧道の前身は「室谷隧道」となる。

これは、なんと大正時代に竣工したというぶっ飛びモノの古隧道だったわけだが、その名、気にならないだろうか?

「宝屋」と「室谷」である。

似ている。

…いや、まったく同じならば全然気にならないし、また、改修時に全然違う名にするというのも、分からなくはない。

しかし、なんか中途半端に似ているのが、なんか気になるのだ。

「宝」は「室」とは呼ばないが、字体が似ているし、「屋」と「谷」は、共に“や”である。

敢えて、二文字とも微妙に差し替えるような理由でもあったのだろうか…?

ま、それだけなのだが、気になってしまった。

廃隧道を、目を皿のようにして探している私は、各隧道に入る前と出た直後には、必ず一旦停止して、辺りを探ることにしている。

そして、その努力が実り、ここ「宝屋隧道」の南側坑口のすぐ近く、国道から海岸線に降りた場所に、一つの穴を発見したのだった。

一瞬にして、全身に力がみなぎる!

まるで、キノコを食ったマリオの如く、その体は、はちきれんばかりに膨らむ!

…私の、“穴”発見の悦びは、そのようなイメージで、捉えてもらって、よい。

[15] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/itagai.html

まずは、続けざまに3本の隧道が待ち受ける。

それぞれ、神宮沢第一・第二・第三隧道である。

激しく蛇行しながら、3本の隧道が間髪いれず続く様は、なんかもう、「技術力の力技」って感じである。

しかし、もともとの隧道は、3本とも大正2〜3年の竣工であり、その幅は僅か1.1mであったというから、驚きである。

残念ながら、当時の隧道の痕跡は発見できなかった。

神宮沢第三隧道。

大正3年の竣工当時、幅1.1m、高さ1.6mというから、成人の多くは、屈んで通行していたであろう。

当時はまだ、自動車交通など考えられていなかったのかもしれないが、俄かには信じがたい狭さだ。

しかも、この隧道にあっては延長165mもあったというから、恐ろしい。

そして、まさか、そんな恐ろしい隧道が、まもなく私の目の前に現れるとは…。

この時は思っていなかった。

入り江に沿って短いストレート。

左には、おなじみ羽越線。

この辺りの鉄路は、これ以上なく車道の近くを通っている。

小刻みにトンネルを繰り返しながら。

羽越線は、やっぱりローカル線なんだなー、としみじみ思ってしまった。

一応は新幹線の基本計画路線である「羽越新幹線」だが、やはり夢物語なのかもしれない。

正面に見えているのが、大正4年竣工の炭沢隧道である。

地形的にどう考えても、この現隧道は旧隧道の拡幅だろう。

この場合、形は変わってしまったといえ、大正4年竣工の隧道が現役であるといってよいのだろうか?

それとも、ただ単に、同じ空間にあるだけで、全く別のものと考えるべきなのだろうか?

[16] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/fainal.html

< おわり >

道の駅「笹川流れ」が、国道345号線沿いに建つのは、地名的には笹川ではなく、その南の桑川である。

この桑川は、山北町最南端の集落であり、村上市に接している。

村上市に入ると、海岸線と山地との隙間が少し広がり、それまでは山々に阻まれ断続的にしか現れなかった集落が、長さを持った帯のようになってくる。

国道も集落内を避たバイパスが続き、景色的には、やや単調になる。

しかし、大半の運転者(これは山チャリストに限らない)は、ホッとするだろう。

それほどまでに、この笹川流れに至までの15km余りの道のりは、険しく、神経を使うものであった。

無論私にしても、やっと目指す村上市に入ったという安堵感が大きかった。

すでに、前夜遅く出発した私のサイクルコンピューターの走行距離は200kmを越えていたし、睡魔と疲労の混ぜ合わさった独特の苦痛が、全身を包み始めていた。

余談だが、この感覚、私の場合はどうも200km前後から表れ始める、なんと言うか…。

山チャリから離れていると、無性に味わいたくなる…そんな麻薬のような感覚なのだ。

実際は、もうチャリを放り出し、その場で眠りに付きたいと思うような苦痛なのだが…。

たぶん、私のの体力ゲージ点滅のシグナルなのだろう。

新潟県山北町 桑川

道の駅「笹川流れ」である。

沿線は「日本海夕日ライン」と愛称されており、この道の駅には、本日の日没時間の案内板があった。

残念ながら、今日は曇りであったが。

そもそも、夕暮れまでこんな場所にいるわけにも行かないのであるが。

休憩もそこそこに、再び南下を始める。

桑川には小学校もあり、これまでの中では大きめの集落。

その南の端、これまで何度も繰り返された景色だ。

海と山が一つの崖に収束し、そこに穿たれたトンネル。

ここから先の鳥越は、村上市に踏み込む前の最後の難関といってよい。

とは言っても、現道は一本のトンネルでこの岬を貫く。鳥越トンネルである。

おなじみ『山形の廃道』さんの隧道リストによれば…、 …この部分に該当する隧道は記されていない。

昭和42年当時、この隧道を用いなければ攻略できそうもない崖を、どうやって道は貫いていたのだろうか?

旧道の痕跡は発見できず、これは謎である。

大正浦隧道

大正浦隧道

弘法トンネル

弘法トンネル

神宮沢第三隧道

神宮沢第三隧道

炭沢隧道

炭沢隧道

カタガリ松隧道

カタガリ松隧道

アカタビラ隧道

アカタビラ隧道

滝ノ尻隧道

滝ノ尻隧道

鳥越トンネル

鳥越トンネル

ヒトハネ隧道

ヒトハネ隧道

履歴

[18] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933258025

メモ