笹川流れ

笹川流れ

[1] 笹川流れ (ささがわながれ)

Webページ

[2] 笹川流れ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E6%B5%81%E3%82%8C

笹川流れ(ささがわながれ)は新潟県村上市にある海岸。国の名勝および天然記念物に指定されている地域で(1927年指定「笹川流」)、日本百景にも選定された県下有数の海岸景勝地である。笹川流れの笹川とは集落名(1889年まで存在した「笹川村」、現・村上市笹川)で、この笹川より沖合いの岩場まで潮流が見られたことが名の由来とされる。

[3] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/itagai.html

まずは、続けざまに3本の隧道が待ち受ける。

それぞれ、神宮沢第一・第二・第三隧道である。

激しく蛇行しながら、3本の隧道が間髪いれず続く様は、なんかもう、「技術力の力技」って感じである。

しかし、もともとの隧道は、3本とも大正2〜3年の竣工であり、その幅は僅か1.1mであったというから、驚きである。

残念ながら、当時の隧道の痕跡は発見できなかった。

神宮沢第三隧道。

大正3年の竣工当時、幅1.1m、高さ1.6mというから、成人の多くは、屈んで通行していたであろう。

当時はまだ、自動車交通など考えられていなかったのかもしれないが、俄かには信じがたい狭さだ。

しかも、この隧道にあっては延長165mもあったというから、恐ろしい。

そして、まさか、そんな恐ろしい隧道が、まもなく私の目の前に現れるとは…。

この時は思っていなかった。

入り江に沿って短いストレート。

左には、おなじみ羽越線。

この辺りの鉄路は、これ以上なく車道の近くを通っている。

小刻みにトンネルを繰り返しながら。

羽越線は、やっぱりローカル線なんだなー、としみじみ思ってしまった。

一応は新幹線の基本計画路線である「羽越新幹線」だが、やはり夢物語なのかもしれない。

正面に見えているのが、大正4年竣工の炭沢隧道である。

地形的にどう考えても、この現隧道は旧隧道の拡幅だろう。

この場合、形は変わってしまったといえ、大正4年竣工の隧道が現役であるといってよいのだろうか?

それとも、ただ単に、同じ空間にあるだけで、全く別のものと考えるべきなのだろうか?

[4] 国道345号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93345%E5%8F%B7

[編集] 概要

ほぼ全線にわたって国道7号と並行している。新潟県内の区間は国道7号から海岸寄り、山形県内の区間は内陸寄りを並行している。また、新潟県新潟市から同県村上市にかけて日本海東北自動車道が、新潟県村上市から山形県鶴岡市にかけてJR羽越本線がそれぞれ並行している。

新潟市から聖籠町の区間は新潟西港、新潟空港、新潟東港などの重要な港湾施設付近を通過する。聖籠町以北は日本海沿いのルートとなり、特に村上市内の区間は日本百景に指定されている笹川流れを通る。この笹川流れ周辺の区間は国道昇格前の1968年までに自動車通行可能の道路として全線開通した[1]が、1980年代までは集落内の生活道路や、断崖絶壁で海岸沿いの非常に狭縊な幅員が続く未改良区間が多数存在していた。このため、国道昇格後の1980年代以降、特に自動車の通過が困難であったトンネルを中心に順次改良され、現在は概ね2車線で整備されている。結果、この区間では非常に多くのバイパス道路が建設され、多数の区間が国道指定当初のルートから変更されている(#バイパス道路を参照)。

山形県内ではルートが内陸寄りとなる。このうち、鶴岡市内の区間は一部大型車通行不能の狭隘な区間があり、冬季は通行止めとなる。

[編集] 路線データ

一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。

起点:新潟市(新潟市中央区万代三丁目2453番4:東港線十字路 = 国道7号等交点)

終点:山形県飽海郡遊佐町(女鹿交差点=国道7号交点)

重要な経過地:豊栄市(横土居)、新潟県北蒲原郡中条町[注釈 2]、村上市(瀬波)、同県岩船郡山北町[注釈 3]、山形県西田川郡温海町[注釈 4]、鶴岡市、同県東田川郡立川町[注釈 5]、同県飽海郡八幡町[注釈 6]

路線延長:220.3km(実延長155.0km)[3][注釈 7]

新潟市区間:20.5km(実延長なし)

新潟県区間:82.8km(実延長49.7km)

山形県区間:117.0km(実延長105.3km)

指定区間:国道7号と重複する区間[4]

[編集] 歴史

[編集] 年表

1975年(昭和50年)4月1日

一般国道345号(村上市 - 山形県飽海郡遊佐町)として指定施行[5]。

1982年(昭和57年)4月1日

起点側を延伸し、一般国道345号(新潟市 - 山形県飽

[5] ルートレポート, , http://yamaiga.com/road/sasagawa/fainal.html

< おわり >

道の駅「笹川流れ」が、国道345号線沿いに建つのは、地名的には笹川ではなく、その南の桑川である。

この桑川は、山北町最南端の集落であり、村上市に接している。

村上市に入ると、海岸線と山地との隙間が少し広がり、それまでは山々に阻まれ断続的にしか現れなかった集落が、長さを持った帯のようになってくる。

国道も集落内を避たバイパスが続き、景色的には、やや単調になる。

しかし、大半の運転者(これは山チャリストに限らない)は、ホッとするだろう。

それほどまでに、この笹川流れに至までの15km余りの道のりは、険しく、神経を使うものであった。

無論私にしても、やっと目指す村上市に入ったという安堵感が大きかった。

すでに、前夜遅く出発した私のサイクルコンピューターの走行距離は200kmを越えていたし、睡魔と疲労の混ぜ合わさった独特の苦痛が、全身を包み始めていた。

余談だが、この感覚、私の場合はどうも200km前後から表れ始める、なんと言うか…。

山チャリから離れていると、無性に味わいたくなる…そんな麻薬のような感覚なのだ。

実際は、もうチャリを放り出し、その場で眠りに付きたいと思うような苦痛なのだが…。

たぶん、私のの体力ゲージ点滅のシグナルなのだろう。

新潟県山北町 桑川

道の駅「笹川流れ」である。

沿線は「日本海夕日ライン」と愛称されており、この道の駅には、本日の日没時間の案内板があった。

残念ながら、今日は曇りであったが。

そもそも、夕暮れまでこんな場所にいるわけにも行かないのであるが。

休憩もそこそこに、再び南下を始める。

桑川には小学校もあり、これまでの中では大きめの集落。

その南の端、これまで何度も繰り返された景色だ。

海と山が一つの崖に収束し、そこに穿たれたトンネル。

ここから先の鳥越は、村上市に踏み込む前の最後の難関といってよい。

とは言っても、現道は一本のトンネルでこの岬を貫く。鳥越トンネルである。

おなじみ『山形の廃道』さんの隧道リストによれば…、 …この部分に該当する隧道は記されていない。

昭和42年当時、この隧道を用いなければ攻略できそうもない崖を、どうやって道は貫いていたのだろうか?

旧道の痕跡は発見できず、これは謎である。

[6] 日本海夕日ライン - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E5%A4%95%E6%97%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

[編集] 概要

新潟県の海岸線を南北に縦貫する、延長約337kmの道路で、新潟県が観光振興を目的に指定したものである。国道や県道・市道の他、臨港道路も含まれる。

この「日本海夕日ライン」のうち、村上市から山形県鶴岡市温海地区(かつての温海町)のあつみ温泉に至る区間は、国土交通省北陸地方整備局が「日本風景街道プロジェクト」の一環として、観光など地域活性化を目的に両県・両市などと共同で、2007年秋に「北陸風景街道」に指定している。なお、両市間の風景街道としての愛称は「日本海パークライン」である。

なお、日本海東北自動車道沿線にあたる新潟県と山形県、秋田県、青森県の4県と沿線各市町村などによって構成され、同自動車道の早期全線開通と行政・経済での交流強化などを図る組織として1988年(昭和63年)に結成された組織は「日本海夕陽ラインネットワーク協議会」という名称であるが、この「日本海夕日ライン」とは直接的な関係は無い。

[編集] 構成される道路

国道7号 伊呉野(村上市・山形県境) - 勝木交差点(村上市)

国道345号 勝木交差点 - 笹川流れ - 瀬波上町交差点(村上市)

村上市道瀬波1号線 瀬波上町交差点 - 瀬波海岸なぎさ通り - 瀬波温泉丁字路(村上市)

新潟県道3号新潟新発田村上線 瀬波温泉丁字路 - 岩船三日町交差点(村上市)

岩船港臨港道路岩船港線 岩船三日町交差点 - 上ノ山交差点(村上市)

国道345号 上ノ山交差点 - 桃崎浜交差点(胎内市)

国道113号 桃崎浜交差点 - 白勢町交差点(新潟市北区) - 平和町交差点(新潟市東区)

新潟港臨港道路入舟臨港線 平和町交差点 - 新潟みなとトンネル(新潟市中央区)

新潟市道中央3-176号、新潟市道中央1-186号ほか(海岸道路) みなとトンネル西詰交差点 - 水族館前丁字路 - 新潟青陵大学前交差点(新潟市中央区)

新潟市道寄居浜線1号、新潟市道関屋浜松町浜浦町線ほか 新潟青陵大学前交差点 - 新潟大堰橋・浜浦橋東詰(新潟市中央区)

国道402号(新潟海岸バイパス) 浜浦橋 - 青山海岸・小針浜 (新潟市西区)- 五十嵐三ノ町(新潟市西区)

国道402号 五十嵐三ノ町 - 越前浜(新潟市西蒲区) - 角田浜(新潟市西蒲区)

国道402号(越後七浦シーサイドライン) 角田浜 - 間瀬田ノ浦 - 寺泊野積

[7] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/utomari/main.html

おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。

それは、現在の岩船郡山北町。

かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。

異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。

それは、ほぼ現在の国道345号線勝木〜村上間に相当する路線だった。

隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。

なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27本もあるが、そのうち11本までが車道幅員2m以下なのである。

おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。

最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。

そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。

「道路レポート 笹川流れ」が、それである。

そして、以前のそのレポートにおいては、「どうやら現隧道に改築されているようだ」と断じてしまった「鵜泊隧道」なのだが、実は、

あったんです。

旧隧道が、ちゃんと!

前回レポート終了直後に、どうやらそれらしいものを見つけたとの情報を、相互リンク先『<ahref="http: target="another" "="" members.at.infoseek.co.jp="" shinkdx="">越の山路』管理人shin氏より頂戴していたのですが、このたび、行って参りましたので、ご紹介致します。

この場を借りて、shin氏ならびに、『山形の廃道』fuku氏への感謝の意を表させて頂きます。

かつての主地道「村上温海線」も、国道345号線に昇格して久しく、並走する国道7号線が交通の動脈である所を補佐し、また観光誘導を行う、重要な路線となっている。

山北町勝木(がつぎ)で7号線と分かれた同国道は、鵜泊・寒川(かんがわ)などの日本海岸漁村風景と、巨岩そそり立つ絶壁海岸とを繰り返しつつ、村上市を目指す。

かつての道路レポと重なる区間ではあるが、新発見を交えつつ、勝木〜鵜泊をレポートしていく。

無論、メーンは新発見の旧鵜泊隧道である。

この日は、2005年2月9日。

秋田県内では、私の住む秋田市ですら、積雪が30cmを越えて

[9] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/atumi/main.html

北日本の環日本海を縦貫する羽越本線は、新潟と秋田とを結び、東北の代表的な幹線鉄道の一つである。

とくに、奥羽本線の一部区間がミニ新幹線化するなどして、貨物輸送に適しなくなって以来は、東北本線とともに、北日本の貨物輸送を担う最重要貨物幹線となっている。

日夜を問わず多数の列車が行き交う羽越本線であるが、特に、山形県鶴岡市三瀬付近から新潟県村上市までの海岸沿いの区間は、大小の隧道が連続している、建設上の難所であった。

ここは、奇景とも称される「笹川流れ」の複雑な海岸線に鉄道が挑んだ場所であり、一部の駅間においては、地上部分よりも地下部分の方が長いと思われるほどだ。

羽越本線の歴史は、幹線としてはやや後発ながらも、大正13年7月末に新津秋田間が全通している。

このうち、温海駅から鼠ヶ関駅間は、陸羽西線の一区間として大正12年に開通しており、全通時に羽越本線に編入されている。

さらに、この二駅の中央付近には、新たに小岩川信号所が新設されたのは、昭和19年。

信号所から駅に格上げされたのは、昭和25年のことである。

そして、昭和52年には温海駅が、現在のあつみ温泉に改称されている。

この80年あまりの開業後の歴史の中で、変わったのは駅だけではない。

複雑な海岸線に無数の隧道で刻まれた線路は、落石や波浪などの自然災害に脆弱であった上に、細かなカーブが多く、列車の運行性も改善されにくかった。

その抜本的な解決策として、また、複線化工事の一環としても、三瀬から村上までの至る所に、新線が建設され、一部は複線に、また一部分では、旧線を廃止し、廃線跡を生じさせた。

たとえば、昭和44年には小岩川・鼠ヶ関間の2.3kmが廃止され、現在線に切り替わっている。

進化を続ける羽越線の中で、今回紹介するあつみ温泉・小岩川間は、特殊な状況にある区間だ。

今後、どのような顛末を迎えるのか、私には分からないが、もう既に相当年、 その奇妙な状況 のままである。

ご覧頂こう。

大正12年、羽越線の全通の前年に陸羽西線の一部として開業した温海駅。

昭和52年に現在の駅名である、あつみ温泉駅に改称され、今日では頻繁に見られる「温泉名」が付いた駅名への改称への、先駆けとなった。

ただし、駅は温泉が併設されているというわけでもなく、海岸沿いの商店街の山手に立地している。

運行さ

[10] , , http://yamaiga.com/comment/tunnel/atumi/

胸のつかえが取れた思いであります。 新潟県北部の小さな集落出身であった父の実家へ夏休みに海水浴を兼ねて出かけた際にこのトンネル工事を目撃しました。海水浴そっちのけで可能な限り近づいて工事現場を見学していた記憶がありました。幼少のこともあり、随分と大きなトンネルだなと思ってひたすら現場を見ていました。それから数十年後、単身父の故郷へ電車で行った際にこのトンネルはどの位置に置き換わったのだろうかと車窓を確認(激しく左右に揺れるこの路線の車内をふらふらしながら右往左往して)してみましたが詳細な位置もわからず、ひょっとすると線路ではなくて車道だったか?と自分で勝手な結論をつけてわからないまま帰って来ました。 その後は特に気にもせず過ごしてきましたが、先日新潟へ行った際(とは言え県央部でしたが…)突然思い出し調べていたところ、こちらのサイトを発見し、詳細なレポートと写真でこの「あつみ温泉〜小岩川間未成線」と幼少の記憶が一致したのであります。本当にありがとうございました。 子供の頃は、この海沿いのルートを電車で往くのが大好きでした。連続するトンネル、連続するカーブ、車窓から垣間見れる海の景色。そして着いたら親戚の人たちと過ごす夏休み。父が幼少の頃は「隣の集落まで行くのに線路を歩いてトンネルを通った、それが近道だ。汽車が来なければ通ってもいい」というローカル・ルール(笑)を教わった事も憶えています。 あれから時間が経ち、父や親戚の人びとも他界し、自分も故郷を離れ仕事柄、関西方面を移動ばかりの生活です。父の実家とは言え付き合いも殆ど薄れています。幼少の手放しで楽しかったこのあたりの思い出と共にいつまでも使われること無くこのトンネルが放置される(たしかにノッペラボーなつまらないトンネルかもしれませんが…)事を願います。このあたりの路線は海岸線に沿って蛇行していたほうが「旅情」があっていいんですよ、きっと。 最後になりましたが、これからのご活躍を期待しております。 本当にありがとうございました。

大正浦隧道

大正浦隧道

鉾立岩

鉾立岩

室谷隧道

室谷隧道

宝屋隧道

宝屋隧道

根込隧道

根込隧道

アジリキ隧道

アジリキ隧道

弘法トンネル

弘法トンネル

天王沢隧道

天王沢隧道

神宮沢第三隧道

神宮沢第三隧道

炭沢隧道

炭沢隧道

カタガリ松隧道

カタガリ松隧道

アカタビラ隧道

アカタビラ隧道

滝ノ尻隧道

滝ノ尻隧道

鳥越トンネル

鳥越トンネル

ヒトハネ隧道

ヒトハネ隧道

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933256591

メモ