大崩海岸

大崩海岸

[1] 大崩海岸 (おおくずれかいがん)

34.9000921037796 138.349585533142

Webページ

[2] 大崩海岸 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B4%A9%E6%B5%B7%E5%B2%B8

大崩海岸(おおくずれかいがん)は、駿河湾沿いの静岡市駿河区石部から焼津市浜当目にかけて続く急崖の海岸。延長は約4km。地名は崩落が多いことに由来する。

[3] 静岡県道416号静岡焼津線 浜当目トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/toume/main3.html

「問」

2017/6/17 16:43 《現在地》

自転車と一緒に、ここ (道幅10cm未満) を越えるためには、どうすれば良いか?

↓↓

自転車を―

片手で持って宙づりにして通る。

……という、あまりにもシンプルで工夫の入る余地のない方法でもって――

――自転車と一緒に、崩壊現場を越えることに成功した。

側溝さん、ありがとう!

対岸で自転車を“構えて”から渡り終えるまでの実質の所要時間は1分も掛かっていない。

これを「無謀!」と思う方がいるかも知れないが、最近の私のレポートを多く読んで貰えば、私自身が無茶と思うような真似をネタとして行っていないことが分かって貰えると思う。

これは無理は何もしていない、自然に行けると感じたことを行動に移しただけである。

今回はたまたま「巾10cm」とか、「下がすっぱり切れている」とかの状況のクリティカルさが分かりやすく目立つ場面であったというだけで、これまでいろいろな廃道を自転車同伴で突破してきた中では、こんなふうに「自転車を片手で持ってバランスを保ちながら狭いところを通る」動作は珍しいことではなく、慣れた動作だったといえる。

それでも一つだけ怖いと思ったのは、「片手で持って宙づりにして通る」の写真を撮影しようという悪戯心が出てしまい、右手でカメラを構えファインダーをのぞき込んでいた最中だった。その瞬間も当然自転車は左手だけで空中に支えられていたわけだが、ファインダーを覗く行為をしていると、視界が極端に狭いせいか、身体のバランスがどこにあるのか実感しづらかったのである。

16:45 《現在地》

ともかくこんな感じでギリのギリに残された道幅を2往復することで、この区間を廃道に変えてしまった致命的崩壊現場を自転車と全ての荷物を持って突破し終え、このまま先へ進める出来る状況を手にした。この先がどうなっているのかは不明であり、最悪、この先の当目隧道の状況次第では引き返す羽目になるかも知れないが、そのときはそのときだ。

ということで、ここから廃道区間の焼津側状況をお伝えしていく。

写真は崩壊現場を振り返って撮した。

なんとなく雑然としているが、道路の崩壊が起きてから行われた復旧工事(実際には新道を作るという復旧になったが)に関係する物が、ほとんど撤去されないままに残っている。設置された赤色灯が物々しい。

もっとも、探索

[6] 道路レポート , , http://yamaiga.com/road/ookuzure/main9.html

2008/2/25 14:26

空手で無理矢理崖をよじ登った。

そして、私は見事に坑口へと辿り着いた。

今度の穴は、先ほどのものとは比べものにならないほどに狭かった。

いきなり、匍匐前進を強いられる…。

洞床は、モルタルを少し配合したような白っぽくて硬い土だった。

ドロドロしていたら、這い蹲って進むのは大変だったが、救われた。

周囲の壁は一枚岩の岩盤なので、洞床は人工的に運び込まれた土砂と見るべきだろう。

行く手には、まだ闇しか見えない。

照明を右手に携え、デジカメを左手に構えたまま、両肘を推進力にして進んでいく。

この狭さは、精神的にかなり苦しいものがある。

風もないし…。

いや〜ん…

這う地面に、白いエビちゃんが…たくさんいゆー…。

…カラカラにひからびたそれは、フナムシの死骸? それとも脱皮した殻?

どっちにしても、いやーーん!

見たところ、生きた個体は見あたらないが…産卵場所なのか。

まあ、出来るだけ何も見ないようにして薄目で進んだので、実際にはどのくらい“いる”のか分からないが。

…想像してくれ、両肘と、続いて下半身で、思いっきりこの白いものをスリコギながら進む事を。

虫は特段苦手ではないけれど、 これは…嫌だ。

入口から10mほどが最も狭く、その先は徐々に床が下っていって内空は高くなってくる。

匍匐からしゃがみ歩きに切り替えて、湿っぽくなった洞床を間一髪かわした。

そんな洞床に、茶碗か皿のひとかけらを見つけた。

なぜこんな場所に…、しかも破片だけひとつっきり…。

おおよそ人が忍び込みそうもない場所であるのに。

何となく気持ちの悪いものを感じながら、なおも進むと…。

14:30

さらに洞床が低くなり、ようやく立てるくらいの空洞が現れた。

だが平坦な場所はほとんど無く、今度はすぐに煉瓦の破片が積まれて山となり、間髪入れずコンクリートの垂直な壁に突き当たって、…終わっていた。

行き止まりの直前だけだが、煉瓦の端正なアーチが現れている。

これも間違いなく、東海道本線旧石部隧道の横坑の一つであろう。

煤煙がこびり付いた煉瓦の内壁。

この3本目の横坑は、現存延長15m程度である。

この、密閉された壁の向こう。

どうなっているんだろうか。

先ほどのように列車の走行音が聞こえてくることはなかったが、長居しなかったのでたまたまタイ

[10] 大崩海岸(静岡県道416号静岡焼津線・用宗街道), , https://www.youtube.com/watch?v=6BEqSn3USKo

(トンネル名等のテロップつき)

海上区間があることで知られる大崩海岸付近の走行映像です。

崩れやすい地質の崖が海のすぐ脇まで迫っており、過去に何度か大きな崩落事故が起きています。

石部洞門付近では崖沿いを通っていた洞門が崖崩れにより破壊され犠牲者が出たため、海上へ迂回するコースに付け替えられました。

※映像の最後(10:35付近)に石部海上橋付近から撮影した写真のスライドショーがあります。

※海上橋は7:32付近から

使用機材:iPhone5(映像はトリミングされています)

撮影路線:静岡県道416号静岡焼津線(旧国道150号線) 通称用宗街道

撮影区間:焼津市中港─静岡市駿河区用宗

撮影日:2013-05-24

※トンネルなどの施設名は、以下のWebサイトを参考にしました。

『山さ行がねが』(ヨッキれんさん)http://yamaiga.com/road/ookuzure/

『とりあえずでかけよう静岡』(torideka@shizuokaさん)http://www.geocities.jp/books10002000/reporter/ookuzure.html

Okuzure Kaigan (seashore) road on the sea, in Shizuoka Japan.

May. 24 2013

Google Maps:

https://maps.google.co.jp/maps?saddr=%E7%9C%8C%E9%81%93416%E5%8F%B7%E7%B7%9A&daddr=%E7%9C%8C%E9%81%93366%E5%8F%B7%E7%B7%9A&hl=ja&ie=UTF8&ll=34.905158,138.351839&spn=0.007021,0.006856&sll=34.87437,138.324818&sspn=0.003305,0.003428&geocode=FcQlFAIdWa0-CA%3BFTHeFAIdLDc_CA&brcurrent=3,0x601a460216921979:0xedf27d81350e789d,0&dirflg=d&mra=dme&mrsp=0&sz=18&t=m&z=17

[11] 糸魚川静岡構造線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A

国の天然記念物 新倉の糸魚川-静岡構造線

画像の中央、崖の右上から左下に斜めに走るラインが構造線の露頭である。

山梨県南巨摩郡早川町新倉(あらくら、地図)

1918年に、東北帝国大学(現東北大学)の地質学者・古生物学者である矢部長克(1878年〜1969年)によって提唱された。

しばしばフォッサマグナと混同されるが、糸魚川静岡構造線は「フォッサマグナの西辺」であって、「フォッサマグナ」ではない。フォッサマグナは、糸静線から東に大きく広がる地溝帯、すなわち「線」ではなく「面」である。

特徴[編集]

(ここでは自然地理的な特徴について述べる。人文地理的な特徴は「中部地方#地域性」を参照すること。)

糸魚川静岡構造線に沿って日本アルプスが造られており、飛騨山脈や赤石山脈の高山が沿線に連なり、天険を形成する。生態系は、糸静線を境にして大きく異なり、東半分を東北日本、西半分を西南日本という。糸静線沿線の主な山や高地には、白馬岳、乗鞍岳、上高地、赤石岳、身延山などが連なる。

日本海側の東西境界線は新潟県と富山県の境に位置する親不知であり、内陸側の東西境界線は諏訪湖である。太平洋側については、静岡市付近ではあるが詳細ははっきりしておらず、安倍川の他、薩埵峠付近や大崩海岸付近などともされる。

北部フォッサマグナ[編集]

日本海が形成された時期の新第三期中新世後期までは東西方向に引っ張られる力が作用し大きな陥没地帯が形成されていたが、中新世末期以降は力の方向が逆転し圧縮方向に変化した。その為、隆起と沈降を示す地形が交互に現れている。隆起地形としては、上水内丘陵地帯(主に妙高火山群の山々)と中央隆起帯(長野県中部から群馬県にかけての地域で志賀高原、八ヶ岳などとその周辺)があり、隆起地形の間には逆断層の長野盆地西縁断層系があり地震活動が活発である[1]。なお、最北部の西頚城山地での活動は終了しており変動地形学的に見ると活断層ではない[2]とする見解もある。

北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面[3]と呼ばれる第四紀の70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていた[4]が、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る[5]。

糸静線上の松本盆地から長野盆地に向か

[12] 道路レポート 国道158号旧道 猿なぎ洞門, , http://yamaiga.com/road/r158_saru/main2.html

2008/9/9 6:50

でかい!

間近で見ると、洞門は巨大だった。

そして、それ以上に入口を塞いでいる岩の大きいこと!!

こんなものがゴロゴロと落ちてきたのでは、さしもの剛構造物、コンクリート洞門も破壊を免れなかった。

この洞門、見ても分かるとおり、決して古いものではない。

土砂崩れが起きたのは平成3年だが、全長30mの猿なぎ洞門が完成したのは、昭和59年である。

しかも、事故当時はちょうど、洞門を高山側へさらに30m延長する工事中であった。

洞門を破壊した崩壊現場である斜面を見上げる。

まるでスプーンで掬ったような、土砂崩れ跡の特徴的な地形がくっきりと残っている。

しかし、それでも崩壊斜面はコンクリートの真新しい吹きつけで覆われていた。

よくもあんな所で工事したものである。

いつも思うが、高所作業の人たちは本当に、すごい。

道は復旧されることなく廃止されたが、この崖の対岸には集落があるわけで、崩れっぱなしで放置というわけにも行かなかったのだろう。

なお、前編では崩壊の模様が録画および放送されたと書いたが、その映像の一部が 「社団法人 斜面防災対策技術協会 富山県支部」 サイトで見ることが出来る。(“サンプル映像”の最後にちょこっと入っている)

洞門の高さと同じほどもある大岩の脇から、猿なぎ洞門の内部へ進入を試みる。

こりゃ…ひどい…。

洞門が原形を留めている部分でも、内部まで大量の土砂が侵入しており、とても無事とは言えない状況。

舗装されているはずの路面は、少しも見ることが出来ない。

なお記録によると、30mの洞門のうち高山側(こちらは松本側)の10mは、土砂と一緒に川まで押し流されてしまったという。

だから、ここに残っているのは20m足らずということになる。

そして、私はこの時点で、 ある信じがたい異変に気付いてしまった。

目の錯覚だと思いたかったのだが…。

お、おお、 恐ろしすぎる……。

これが、崩れ落ちた大岩を支えている坑門部分。

表面には細かな傷や、コンクリートが剥離した跡が無数にある。

とても四半世紀を経ただけのコンクリート構造物とは思えない傷み方である。

ちなみに銘板は存在しない。

現役当時の写真を見る限り、この洞門に扁額はなく、道路標識と同じタイプの金属製の銘板が取り付けられていた。

その残骸も見られないが、

石部隧道

石部隧道

磯浜隧道

磯浜隧道

履歴

[15] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933249138

メモ