国道414号

国道414号

[1] 国道414号

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[2] 国道414号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93414%E5%8F%B7

国道414号(こくどう414ごう)は、静岡県下田市から、同県沼津市を結ぶ一般国道である。 河津町から伊豆市にかけて通る天城山は観光地でハイキングなどで人気であり、また、河津七滝ループ橋を通過する。

[3] 隧道レポート 国道414号旧道 静浦隧道群, , http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main4.html

隧道レポート『沼津市口野の“隧道の辻”(全3回)』では、国道414号の旧道(ただし国道指定以前の旧道含む)に位置する4本の個性的な隧道を紹介し完結した。

だが、完結後になってから数名の読者さんから、「5本目があるのでは?」というツッコミが入った。

改めて地図を見返してみると、あれま!!

あるでないかい。

…というわけで。

行ってきました。 見てきました。

さらに、関係町村史などにあたって、一連の隧道群の素性調査も行いました。

本編は、前『沼津市口野の“隧道の辻”』を補完し、また “次なるレポート“への橋渡しを成すものである。

2008/2/26 7:00 【周辺地図】

コンクリートの塊に遊びで掘ったようなこの隧道。

前回までは「江ノ浦隧道」という呼称をしていたが、もともと正式な名前は分からなかったのであって、今回この江浦地区にもう一本隧道が見つかってしまったことからその仮名を「第二江ノ浦隧道」と改めることにする。

前回さんざん笑いものにしたのだったが、その余りの衝撃にほだされた私は、あろう事かたった350mほど先にある“5本目の隧道”を無視して、探索を終えてしまったのだった。

そのお陰で、再訪する必要が生じたのである。(理由はそれだけではなかったが)

また、再訪と前後して行った机上調査によって、この「第二江ノ浦隧道」の隣に位置する現国道の切り通しにも当初は隧道があったのではないか…、という前回までの推論が否定された。 悉

現道に切り替えられた時期だが、歴代の地形図を全て丹念に追っていったところ(地形図の悉皆調査)、昭和27年版までは隧道が描かれているものの次の33年版からは消えている事から、大体この昭和27〜33年のあいだに切り通しの現道に改められたのだと、そう推測出来るのである。

旧隧道をくぐって民家の庭先のようになった旧道を20mほど進むと、現国道と交差。

交差後今度は山側に移った旧道が生活道路として続き、200mほどで再び現国道に合流。

以後は旧道があったとも想像される位置に釣具店や駐車場があって、現国道を進むより無くなる。

現国道の法面に、謎の横穴の痕跡。

しかし、どこに穴を掘っても商品価値の高い石材が採れたこの一帯では、この程度の横穴は見慣れた光景に過ぎない。

7:03

出発から3分。

目指す“5本目の隧道”へ繋がる旧道の入口に

[7] 隧道レポート 旧口野隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main4.html

2008/2/26 7:47

低い天井にアタマをぶつけないように気をつけて入洞。

自然と前傾姿勢になるために、洞内から風が出ていることを確認。

取りあえず、こちらの穴を便宜的に「第二洞」と名付けることにした。

第二洞は、入ったところがいきなり広間になっている。

この時点で、期待された隧道説はかなり揺らぐ。

しかし、隧道を拡幅して採石をしていた可能性も、この地域に膨大な石切場(丁場)があることを考えれば十分あり得ることだ。

ともかく、この空気の流れを生じさせている原因を求め、奥へ分け入った。

最初に入った「第一洞」との大体の位置関係は左の図の通り。

もっとも、正確性は保証出来ない。

第二洞は第一洞よりも、床の標高(鉱山的にはこれを「レベル」と表現するが)が10mほど高く、より地表に近い位置にある。

明治初期に設計された、僅か10間(約18m)の隧道を想定するのであれば、より可能性が高い位置といえる。

だがこの第二洞。

ほとんど通路と呼べるもののない、まさに厳然たる丁場の風景である。

直角に交わる直線だけで構成された空洞は、ある種近代的な住環境を彷彿とさせるものがあり、静謐さ、涼しさなどの諸条件から、住んでみてもイイかと思わせるものがある。

まあ、正常な神経の持ち主ならば、いつ崩れてくるかも知れない廃坑はゴメンだと思うだろうが、当方のような救えぬ穴好きには、ここはなかなか…。

さらに奥へ進んだ私は、不思議なものに遭遇した。

これは…?

金色に輝く …ひも?

何とも幻想的で、

不思議としか言いようのない光景だった。

不思議な“ひも”の正体は、

おそらく地上から延びる一本の木の根だった。

天井の削岩孔と思われる孔から、

ただ一本中空に現れると、

そのまま砂利敷きの洞床まで、

何と、3m近くも懸垂していた。

その表面を、落ちる水の膜が、

弾けるように脈動しながら覆っていた。

いったい、一本の木の根がこれだけ延びるのにどのくらいの時間を要するのか見当が付かないが、一年や二年ではないだろう。

いや、それよりもここは、少なくとも地表から10m以上地下にあたる所だ。

普通に考えれば、木が生え根を張るような土の層が石切場の天井のすぐ上にあるとも考えにくいから、頭上にはかなり分厚い岩盤層があるはず。

この根は、極々小さな削岩孔を伝って何メート

[8] 道路レポート 静岡県道19号伊東大仁線 宇佐美〜亀石峠, , http://yamaiga.com/road/kameisi/main.html

よっしゃ!!

今日は伊東市の宇佐美から、「亀石峠」 を目指してみるぜ!!!

通る道は、静岡県道19号伊東大仁線だぜ!!

……… え?

廃道じゃあないよ。

バリッバリ現役の主要地方道だぜっ!

…待って。

ブラウザ閉じないで〜。

面白いからさ。 俺はチョー好きだよココ。

道路、特に峠道が好きな人だったら、おっ!と来るはずだからさ。

ヨッキれんを、猛烈にアツくさせてしまった亀石峠は、ここにある!!

↓ ↓ ↓

亀石峠は、静岡県伊東市と伊豆の国市を隔てている、標高450mの峠である。

現在はここを県道19号伊東大仁(おおひと)線が通過している。

この県道の起点であり峠の登り口にあたる宇佐美は伊東市北部の大字で、相模灘に面する西高東低の小都会。近世には伊豆石の積出港として賑わったところでもある。

県道の終点である大仁は平成の大合併までは大仁町の中心であった中伊豆の古い商都で、南北と東西の交通路が交差する要衝だ。

これら宇佐美と大仁を最短で結ぶ亀石峠は、当然のように歴史の古い峠である。

だが、そこを自動車が通れるようになったのは、戦後だいぶ下ってからのことだった。

そしてこれは独り亀石峠だけでない、東伊豆と中伊豆を結ぶ多くの峠道に共通の歴史であり、地域の悩みでもあった。

亀石峠の兄弟分たちを、ご覧下さい(画像にカーソルオン!)。

ここでピックアップした峠は全て県道の峠越え(トンネルで通過する道は除外した)で、かつ東伊豆と中伊豆を隔てる分水嶺を越えるものである。

標高も歴史もまちまちだが、北寄りの熱海峠、山伏峠、亀石峠の三つは特に東側の傾斜が厳しい立地条件にある。

今回はここから亀石峠をセレクトし、中でも特異な道路景観が楽しめる東側(伊東市側)を攻略・紹介することにしたい。

この図の範囲の峠で、馬車の通行を最初に許したのは冷川峠(明治39年開通)で、次は昭和初期の熱海峠開通を待たねばならなかった。

伊東や熱海は昔から繁盛の都会であったがにも拘わらず、背後の山は厳しく東西交通路の発展を阻害し続けたのである。

もっとも鉄道まで視野に入れるならば、昭和9年の丹那トンネルの開通は熱海を一躍東西交通路の主役の座に押し上げる効果があった。

続いて亀石峠周辺の地図をご覧いただくが、ちょっとだけ指向を変えて立体図としてみた。

2007/7/26 17:18 【現在地】

口野放水路交差点

口野放水路交差点

口野トンネル

口野トンネル

多比第二トンネル

多比第二トンネル

多比第一トンネル

多比第一トンネル

江浦第二隧道

江浦第二隧道

江浦隧道

江浦隧道

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933242408

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