日光鋼索鉄道線

日光鋼索鉄道線

[1] 日光日光鋼索鉄道線 (にっこうこうさくてつどうせん)

Webページ

[2] 東武日光鋼索鉄道線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AD%A6%E6%97%A5%E5%85%89%E9%8B%BC%E7%B4%A2%E9%89%84%E9%81%93%E7%B7%9A

日光鋼索鉄道線(にっこうこうさくてつどうせん)はかつて栃木県日光市の馬返駅から明智平駅までを結んでいた東武鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)である。 馬返駅で日光軌道線と連絡する形で運行していた。1970年廃止。

[3] 廃線跡訪問記 : 日光鋼索鉄道線(馬返-明智平) その2, , http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3041879.html

●1970年まで、日光一連の名所を望むことができる「明智平駅」までの 貴重な足として活躍した「日光鋼索鉄道線」の第二回です。 今回はこの路線2つあるうちの1つ、「第二號(ごう)隧道」の探索を行います。 しかし・・・ここでまたしてもお約束(?)のアクシデントが発生! 「第二號(ごう)隧道(60m)」の前までやって来ました。「明智平駅」からの 距離は僅かですが傾斜がキツいため、かなり移動した錯覚を起こします。 横から撮影します。入口は一応封鎖されていますが、そのせいで壁には 大量の枯れ草が積もっています。最深部では 1m程あるかも知れません。 中を覗いてみます。短いトンネルなので灯りは必要無い・・・ゲゲッ !!! ハンドランプを置いてきてしまいました!でも戻るのは面倒だし。。。 と、そのまま探索を続行することにしました。しかしこのことがのちに 重要な意味を持つことに・・・写真は入口付近、枯れ草で足が埋まります。 内部へ進入しました。繰り返しになりますが、非常に傾斜のキツイ 状況が依然として続いています。中央部分には小さい岩がゴロゴロ・・・。 振り返って撮影。写真のように黄色いラインが枯れ草の積もっている 部分です。ちなみに壁を超える時は壁を飛び下りる感じになります。汗 上部には架線の跡でしょうか、碍子が付いたままになっています。 ちなみに 2日前には40mmの雨が降りトンネル内全体が濡れています。 そんなことから当然地面も湿っておりまた、画面では明るく写って おりますが、実際にはもっと暗く相当の注意が必要・・・とその時です! ずるっ! 『ずっでぇぇぇん!!!』 ・・・案の定、階段に積もった湿った枯れ草で滑りスッコケました。 下まで転げ落ちることはありませんでしたが私の体は一旦宙に浮き、 「右ひじ」→「尻」の順に階段上に落ちました。 「右ひじ」が最初の着地点になったのは、右足を滑らせ右手に カメラを構えていたためで、これを守ろうとし右ひじから落ちたのでした。 そしてその「右ひじ」に私の全体重をかけてしまった結果・・・ 「右手の薬指と小指が痺れて動かない!」という事態に。 要は「机の角等に肘をぶつけて指が痺れた」というヤツです。 どなたでも経験がありますよね。ソレの全体重バージョンです。 本当に動かそうとしてもジーンとするばかりでピクリともしません。 そして「時間が経てば・

[8] 廃線探索 東武日光鋼索鉄道線(歩鉄の達人), , http://www.hotetu.net/haisen/Kanto/081109nitukoukousakutetudousen.html

日光鋼索鉄道線(にっこうこうさくてつどうせん)はかつて栃木県日光市の馬返駅から明智平駅までを結んでいた東武鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)である。

馬返駅で日光軌道線と連絡する形で運行していた。1970年廃止。 路線データ

路線距離(営業キロ):1.2km 軌間:1067mm 駅数:2駅(起終点駅含む) 高低差:430m 歴史

元は日光登山鉄道が1927年から建設しようとしたものだが、昭和恐慌の影響で建設が一時頓挫し、1932年に馬返 - 明智平間1.2kmがようやく開業した。翌年には、300mであるが架空索道(明智平ロープウェイ)を明智平

- 展望台間に開業させる。

1943年に不要不急線ということで架空索道線は撤去され、1945年には後の東武日光軌道線を運営していた日光軌道に合併された。1947年に日光軌道は東武鉄道に吸収され、東武の運営となる。1950年には、架空索道線を復活させた。

1968年に日光軌道線が廃止されたため、それに接続していた日光鋼索鉄道線も1970年には廃線となる。残った架空索道線は、1985年に日光交通へ移管された。

1932年8月28日 日光登山鉄道により馬返 - 明智平間開業。

1945年2月28日 日光軌道が日光登山鉄道を合併。

1947年6月1日 東武鉄道が日光軌道を合併。日光鋼索鉄道線となる。

1970年4月1日 馬返 - 明智平間廃止。

大谷川橋梁

大谷川橋梁

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933238610

メモ