父島

父島

[1] 小笠原諸島父島 (ちちじま)

27.0777777777778 142.216666666667

Webページ

[2] 父島 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E5%B3%B6

父島(ちちじま)は、東京都・小笠原諸島の島。

[3] 小笠原村 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%9D%91

地理[編集]

東京都本庁から小笠原村本庁である父島までは、約1,000 km離れている。

山: 父島の最高峰は名前の無い山(326m・中央山ではない)、母島の最高峰は乳房山(463 m)

河川

八ッ瀬川

歴史[編集]

「小笠原諸島#歴史」および「小笠原支庁#歴史」も参照

1940年(昭和15年)4月1日 - 普通町村制の適用により、東京府小笠原支庁の父島に大村・扇村袋沢村が、母島に沖村・北村が、硫黄島に硫黄島村が設置される[3]。

1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。(東京府廃止)

1946年(昭和21年) - アメリカ合衆国軍の直接統治の下に置かれる。

1952年(昭和27年) - サンフランシスコ講和条約により、5村は日本国政府の行政から分離され廃止。アメリカ合衆国の施政権下に置かれ引き続きアメリカ合衆国軍管理となる。これに伴い各村役場は廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。

1953年(昭和28年)4月28日 - 小笠原支庁廃止[4]

1968年(昭和43年)6月26日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定発効により、アメリカ合衆国軍から返還、本土復帰すると同時に小笠原支庁の全村が合併し、東京都小笠原村となる[5]。小笠原総合事務所(国の機関)[5]、東京都小笠原支庁および小笠原村役場の行政機関設置。

1979年(昭和54年)

4月22日 - 村議会議員および村長の設置選挙

4月23日 - 村政確立(それより前は東京都小笠原支庁長が小笠原村長職務執行者であった)

行政区域変遷[編集]

変遷の年表

小笠原村村域の変遷(年表)

月日

現小笠原村村域に関連する行政区域変遷

[4] 自然公園施設の紹介-父島|小笠原支庁, , http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/nature/chichijima.html

注意 各距離表示は、目安として水平距離を記載しています。実際の距離は高低差等があるため記載延長より長い場合がありますのでご注意下さい。

父島の北部にある宮之浜に面した園地。兄島が正面に見えます。ビーチには珊瑚があるので魚が豊富でシュノーケリングに最適です。沖は潮の流れが複雑で早い兄島瀬戸なので、流されないよう黄色いブイより先には絶対に行かないでください。

施設・設備概要

バイク、自転車駐輪台有、トイレ有(簡易水洗汲取り式)、休憩舎1棟、水道設備(シャワー、水飲み等)なし、デッキ3箇所、野外卓・ベンチ等あり、照明設備なし、その他

アクセス

バス:宮之浜入口

[5] 石野遺跡 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%87%8E%E9%81%BA%E8%B7%A1

北硫黄島は東京の南約1000キロに広がる 小笠原諸島 に属する、三島で構成される 火山列島 の一番北側にある島である。西方には 沖縄本島 などから構成される 南西諸島 があり、南方には マリアナ諸島 などが属する ミクロネシア がある。一方、東側は遠く ハワイ諸島 の北西にある ミッドウェー島 まで島らしい島はない。小笠原諸島は他の陸地から離れた場所に位置しており、これまで大陸や大きな島と地続きとなったことがない 海洋島 に分類されるが、小笠原諸島の有史以前の文化は、北の日本列島、西の沖縄諸島、南のミクロネシアのいずれかから伝えられたものと考えられている [1] 。

北硫黄島は火山活動によって形成された火山島で、南北約3.5キロ、東西約2キロ、面積は5.57平方キロメートルの南北に長い楕円形をしている。標高792メートルの榊ヶ峰を筆頭に島の中心部の南北に山が並び、海岸の多くは急峻な 海食崖 であり、島全体としても急峻な地形が多く平坦な場所は少ない。その中で島の中心部から流れ出す沢が海に注ぐ場所には小規模ながら 扇状地 が見られ、緩斜面を形成している。戦前に集落があった島東部の石野村や北西部の西村は、そのような扇状地部分に形成された [2] 。

北硫黄島周辺の海では、北東部と西部を除き幅約100メートル程度の 裾礁 があり、特に石野村と西村付近の沿岸部は裾礁が発達している。中でも旧石野村沿岸の裾礁には切れ目が存在し、大きな入江がない外洋の島であるため接岸が困難である北硫黄島の中では、波を遮る効果がある裾礁に囲まれ、しかも小船が通れる切れ目がある旧石野村は最も接岸が容易な場所であった。石野遺跡は接岸が最も容易で扇状地の緩斜面がある、北硫黄島の中では最も居住に適していると考えられる石野村付近にある [3] 。

島の発見と開発の開始 [ 編集 ]

1543年 、 スペイン 船サン・ファン号は3つの島から構成される火山列島を発見した。この時点で火山列島は無人島であったとされ、そのため石野遺跡は16世紀以前のものであると考えられている [4] 。 16世紀 後半以降、火山列島はフィリピンからメキシコへ向かうスペインの ガレオン船 航路に近かったため、北硫黄島の目撃情報も散見される [5] 。

1876年 ( 明治 9年)、日本政府は小笠原諸島の領有を諸外国に通知し認められた [

[6] 父島全体マップ | 小笠原村, , http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/sightseeing/information/

父島は、東京から南へ約1000kmに位置する小笠原諸島最大の島です。

竹芝桟橋よりおがさわら丸で25時間半で父島の二見港に到着します。

山には世界的に貴重な固有種、海には美しい珊瑚や熱帯魚、一年中イルカが泳ぎ、クジラも子育てにやってくる、多彩な魅力に溢れた南国の楽園、エコツーリズムの島です。

[7] 沿革|小笠原支庁, , http://www.soumu.metro.tokyo.jp/07ogasawara/guidance/history.html

アメリカ東インド艦隊司令官ペリーは日本へ来る途中、沖縄を経て父島二見港に寄港。島民のために(牛、羊、山羊)や野菜の種子を与え、石炭補給所用の敷地を購入した。

[8] 沿革 | 小笠原村, , http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/development.html

東京府出張所の行う行政に協議権をもつ会議所を設置し、議員15人を公選した。

外国人がすべて帰化した。

[9] 沖ノ鳥島とアマチュア無線, , http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/extra/DX.html

※筆者はアマチュア無線については全く経験のない素人であり、本稿は様々な文献に基づいてまとめたものであることを最初にお断りしておきます。

アマチュア無線の世界には、アマチュア無線家(ハム)に対して、その交信した地域や局の数などをたたえて贈られる様々な「アワード」(賞)がある。その中でも、最も権威と人気があるといわれるのが、アメリカのハムの全国団体である アメリカ無線中継連盟 ( American Radio Relay League; ARRL )が発行している「 DX Century Club 」( DXCC )である。

DXCC は最初1937年(昭和12)に制定されたが、第二次世界大戦のため1940年(昭和15)にいったん中断され、1947年(昭和22)に再開された。このアワードは、世界の100以上の国・地域―― DXCC では「 エンティティ 」( entity ; 独立体)という――と交信した者に与えられる。ちなみに、「 DXCC 」の「 DX 」とは英語の「ディスタンス」( distance ; 距離、遠方)を無線用語風に略したもので、遠距離通信のことである。

なお、このエンティティの区分は DXCC 独自の規定に基づくものである。独立国はそのまま一つのエンティティ扱いを受けるが、同じ国の中でも、行政的に特別な扱いを受ける地域や、他の地域との距離が非常に離れた地域などは、 DXCC のルールによって別のエンティティとされることがある。たとえば日本の場合、2007年(平成19)7月現在、「日本」( Japan )のほか「小笠原」( Ogasawara )と「南鳥島」( Minami Torishima )が独立したエンティティとなっている。このため、エンティティの数は2007年7月現在で337もあり (*) 、 国連の加盟国数 (192)や ISO 3166 で定められている国名コードの数(244)よりもはるかに多い。またこの他に、かつては正式なエンティティとされていたが、様々な事情で廃止となったものが58あり、その中には「琉球諸島」( Ryukyu Is.; 沖縄)と「沖ノ鳥島」( Okino Tori-shima )も含まれている。

(*)

2007年12月14日にサン・バルテルミー島(カリブ海にあるフランス海外準県)が追加され、338になった(2010

[10] 西之島の噴火から2年 面積12倍に拡大 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151120/k10010313971000.html

小笠原諸島の西之島で、おととし新たな噴火が確認されてから20日で2年になります。島の面積はこれまでに元の島の12倍に拡大し、今月17日に行った海上保安庁の観測でも爆発的な噴火や溶岩の流出など、依然として活発な噴火活動が続いていることが確認されました。

海上保安庁が今月17日に航空機で上空から観測したところ、島の中央部の火口では爆発的な噴火がくり返し発生している様子が確認されました。 噴火の頻度は1時間に1,2回程度と、これまでよりも少なくなっていましたが、これまでよりも噴石が飛ぶ範囲が広がり、大きな噴石が1キロほど離れた海上まで飛んでいたほか、噴火に伴う空気の振動によって航空機でも揺れを感じたということです。 また、溶岩の流出も引き続き確認され、流れ出す方向が北側から南西側に移っていたということです。 島の大きさは東西が1900メートル、南北が1950メートルで、面積は東京ドームのおよそ56倍の2.64平方キロメートルと、波による浸食の影響でことし9月よりもやや小さくなったものの、元の島のおよそ12倍だったということです。 今回の調査に同行し、西之島の観測を続けている東京工業大学の野上健治教授は、噴火がこれまでより爆発的な噴火になっている理由について、「現段階では確定的なことは分からないが、地下から供給されるマグマの量が減ったことで噴火の間隔が長くなり、内部でガスが溜まったりして、爆発力が増している可能性がある。この傾向が今後も続くのか継続して調査する必要がある」と話しました。そのうえで、「噴火が始まった当初から、活動が長期化するという見通しを持っていたが、ここまで長くなるとは想像していなかった。今後も活動の推移を注視していきたい」と話しています。

小笠原諸島の西之島では、おととし11月に新たな噴火が確認されて以降、2年間にわたって活発な活動が続き、島の大きさは噴火前の元の島のおよそ12倍に拡大しています。 小笠原諸島の父島の西、およそ130キロにある西之島では、おととし11月20日に、およそ40年ぶりに南東の海底で噴火が確認され、新たな陸地が出来ました。海上保安庁の上空からの観測では当初、新たな陸地は北西から南東の長さが200メートル、北東から南西が100メートルほどでしたが、活発な噴火活動により流れ出した溶岩で拡大を続け、噴火の確認から1か月後には、元の島と陸続

[11] NHK NEWS WEB 小笠原諸島で遺産価値に関わる危機, , http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0625.html

小笠原諸島で遺産価値に関わる危機

6月25日 17時31分

小笠原諸島が世界自然遺産に登録されて4年です。多くの固有の動植物が生息し豊かな生態系がある小笠原ですが、今、「世界遺産の価値にかかわる危機」と指摘されるほどのある異変が起きています。首都圏放送センターの中本史記者が解説します。

遺産決め手のカタツムリ

東京から南におよそ1000キロ離れた小笠原諸島。人が住んでいる父島や母島、それに無人島も合わせると30余りの島々からなり、緯度はほぼ沖縄と同じで年間を通して暖かい場所です。

小笠原諸島は島が出来てから一度も大陸とつながったことはなく、生き物たちが独自の進化を遂げていて、ここでしか見られない固有の動物や植物が600種類近くに上っています。中でも貴重なのが「カタマイマイ属」と呼ばれるグループのカタツムリたちです。

「カタマイマイ属」は、土の上に住むものは焦げ茶色、木の上に住むものは葉っぱの色にあわせた緑色というように、環境に合わせて殻の色や形を進化させてきました。古代から絶滅した種類は少なく、20種が今も生息しています。多様な進化の過程が生きている種類でみられることから、世界でも貴重なものだと評価され世界遺産の決め手の1つになったのです。

しかし、この「カタマイマイ属」が今絶滅の危機に陥っていることが分かったのです。

カタマイマイの危機

今回、カタマイマイの最も重要な生息地である兄島に、特別に国の調査に同行して入りました。

人が定住したことがなく小笠原特有の生態系が最も維持されている兄島。人の手が入っていないので険しい山が立ちふさがり、道なき道を上っていきます。歩くこと3時間、小さなカタマイマイを見つけることができました。大きさ2センチ弱の土の上にすむ茶色いカタマイマイです。しばらくすると、木の上にすむ緑がかったキノボリカタマイマイを見つけることができました。

しかし、4時間を超えて行った調査で見つかったのはたった4匹でした。調査していた研究者に聞くと世界遺産登録前はそこかしこにいたとのことでした。環境省が毎年行っている調査の結果でもカタマイマイの減少は如実に分かります。調査地点によっては4年前の6分の1に減ったところや、一匹もいなくなった場所もあります。

何が起こっているのでしょうか。

犯人は外来生物

兄島での調査では、生きているカタマイマイがほとんどいなかった

[12] 中ノ鳥島 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6

中ノ鳥島 (なかのとりしま、 英 : Ganges Island )は、 北緯30度05分 東経154度02分  /  北緯30.083度 東経154.033度 座標 : 北緯30度05分 東経154度02分  /  北緯30.083度 東経154.033度 に存在したとされる 幻の島 。別名「 ガンジス島 」。また、近傍には「ガンジス礁」もあったとされる。

自然科学 の観点から見れば実在したとは考えられないが、 日本 の 領土 として正式に認定されていた時期がある点で、世界各地の「幻の島」「 伝説の島 」とは一線を画する。

海図 等では「中ノ鳥島」の表記が用いられたが、日本政府の発する 命令 ( 政令 ・ 省令 等)では「 中鳥島 」の表記が多く用いられた( 日本国憲法 下での 官報 掲載例は前者2件、後者27件)。

概歴 [ 編集 ]

1907年 ( 明治 40年)8月、 東京市 小石川区 諏訪町(現在の 東京都 文京区 後楽 )の 山田禎三郎 が、 東京府 小笠原島 から560 哩 の位置に 島嶼 を発見、上陸して 探検 、 測量 まで試みた。

東京府知事 阿部浩 から 内務大臣 原敬 に宛てて提出された「新島嶼ノ行政区割ニ関シ上申」に付属する「小笠原島所属島嶼発見届」によると、 島 は外周1 里 25 町 (約6.67 km )、面積64万3700 坪 (約2.13 km² )、 サンゴ礁 と思われる 植生 もあった。また、島には 鳥の糞 が積もってできる 燐鉱石 で覆われており、これは当時、 火薬 原料や 肥料 として重要視されるものであった。

山田はこの島を開発するため日本による 領有 を訴え、翌 1908年 (明治41年)7月22日に 閣議決定 により「中ノ鳥島」と名付けられ、日本領に編入された [1] 。山田が発見した島は、海図の「ガンジスアイランド」に相当すると届けられたが、当時の 海軍省 水路部 が記した『日本水路誌』には 北緯30度47分 東経154度15分  /  北緯30.783度 東経154.250度 ) に「ガンジス島」があるとされ、「其ノ位置ニハ多少ノ差異アルニ依リ他日確定スルノ必要アルヘキ」と所在が未確定ながら「帝国ノ版図ニ属スヘキハ論ナキ」と日本領に組み込むのは当然とされた。

しかし、中ノ鳥島はそれ以来再び発見すること

[13] 幻想諸島航海記/[特別篇]沖ノ鳥島の謎――歴史篇 (1), , http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/history.html

沖ノ鳥島は、いつ、誰が発見したのか?(その1)

トーレ 1543年8月~10月

1543年、スペインのルイ・ロペス・デ・ビリャロボス (Ruy Lopez de Villalobos, ?-1546) は、部下の ベルナルド・デ・ラ・トーレ ( Bernardo de la Torre ) に命じて北太平洋を探検させた。トーレの指揮するサン=ファン (San Juan) 号は、8月26日にフィリピンのミンダナオ島の南端にあるサランガニ島を出航し、北太平洋でいくつかの島を発見している。これがどうも現在の小笠原諸島か火山列島にあたる島々らしい。「らしい」というのは、この航海の内容には不明確な点があり、トーレが見た島が具体的に現在のどの島なのか今ひとつはっきりしないからである。

この時の航海で、トーレは、フィリピンのタンダヤ (Tandaya) 島(不詳、レイテ島またはサマール島か)を出発し、そこから「東方」に「200リーグ」ほど航海した「北緯16度」の地点で一つの「小島」を発見し、「 アブレオホス 」( Abre Ojos ; Abreojos, Abriojos などとも綴る。「眼を開け」の意)と命名している。なお、ここでいう「リーグ」はおそらくスペイン・リーグ、すなわち「レグア」 (legua) であろう。1レグアは約4.2kmだから、200レグアは約840kmとなる。

トーレは、そこからさらに「東」に「26リーグ」 (約110km) 航行した「北緯16度ないし17度」の地点に「二つの大きな高い島」を発見し、「ラス=ドス=ヘルマナス」(Las Dos Hermanas; 「二人姉妹」の意)と命名している。そして、さらに「北東」に船を進め、「300リーグ」 (約1260km) 進んだ「北緯25度ないし26度」の地点に三つの島を発見し、そのうち一つが火山島であったことから「ロス=ボルカネス」(Los Volcanes; 「火山」の意)と命名している。タンダヤの港から「500リーグ」 (約2100km) の地点である。さらにそこから「北東」に「30リーグ」 (約126km) 進んだ地点で、10月2日に彼は島をもう一つ発見し、「フォルファナ」 (Forfana) と命名している。サン=ファン号はそこからさらに「北東」に進み、10月18日に、タンダヤから「700リーグ」 (約

[14] 「五島列島」旅 その27(野崎島) 野首集落のキリシタン墓地跡 | ISLAND TRIP(アイランドトリップ), , http://www.islandtrip.jp/2016/04/220801.html

桜が散ったら急に気温が高くなってきましね。どうも、いづやん( @izuyan )です。

五島列島旅の第二十七回をお送りします。無人島である野崎島、そこに今も建ち続ける「旧野首教会」を見るという旅の大きな目標は達成されたわけですが、まだ島を離れるまでは時間があります。

無人島にダム?

「旧野首教会」の撮影と見学を済ませて、さらに島の西側に向かいます。斜面を登って道を進むと、海が見えてきたと思いました。が、最初に見えてくるのは大きな池です。これ、実はれっきとした「ダム」なのです。

無人島にダム・・・? まあそう思いますよね。僕も思いました。

しかもこのダム、島が無人になってから作られたものだそうです。それって無駄では?と思いたいところですが、このダムの水は海底の送水管を通ってお隣の有人島、小値賀島の農業かんがい用水として使われているそうです。

喫茶タートルのトムさんにちらっとお聞きした、島に来る移住者は農業従事者が多い、ということとも無関係ではないでしょう。水資源確保はどの島でも重要な課題だからです。

それにしても、やはり知らないと島でいきなりダムが現れたら面食らいます。ダムのすぐ向こうには海が見えるのもまた不思議です。

海側の斜面には土砂流出を防ぐためか、ネットのようなものが敷かれていました。

ダムの横を回って、下り坂を行くと「野首港」にたどり着きます。船が着いた野崎港より新しい係接岸のようです。後で聞けばチャーター船が時おり泊まることもあるそうです。休憩所もあったりして、ここだけ見ると無人島には見えません。

「こんなところまでキュウシュウジカが!」と思ったら、ただのモニュメントでした。

日の光が海の底に届いて、目がさめるような景色が広がっています。夏場だったら確実に泳ぎたくなる海です。

海を前に残されたキリシタン墓地跡

その場で国土地理院の地図を見ると、この野首港周辺にもかつては建物があったようですが、おそらくダム建設の時に撤去されたのでしょう。往時のことを伝えるものは何もないように思えました。

と、海から山の方に顔を向けると、海岸そばの灌木の中に石の十字架が立っているのが目に入りました。

「キリシタンの墓だ・・・」

思わずつぶやいてしまいます。

よくよく見ると、その周りにも灌木に覆い尽くされかけた墓石が見え隠れしています。浮足立った足取りで近づこうとしますが、灌木

[15] 12倍に拡大の西之島 噴火後初の上陸調査 | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161025/k10010743931000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

およそ2年間にわたって活発な噴火活動が続いた小笠原諸島の西之島で噴火後、初めてとなる上陸調査が行われ、島では以前から生息していた海鳥や植物などが確認されました。専門家などは、一連の噴火のメカニズムや、今後、島の生態系がどのように変化していくかさらに詳しく調べていくことにしています。

今回、調査を行った島の海鳥の生態に詳しい森林総合研究所の川上和人主任研究員によりますと、溶岩に覆われずに残った元の島の陸地では、噴火前から島に生息していた「アオツラカツオドリ」が、巣を作って卵を温めている様子や「カツオドリ」の巣の痕跡とともに、ことし誕生したと見られる若い鳥も見つかり、噴火のあとも島で海鳥の繁殖活動が続いていると見られることが確認できたということです。 また、火山灰などに覆われて枯れたのではないかと考えられていた「オヒシバ」というイネ科の植物も今回の上陸調査で元の島の陸地に生えていることが確認されたということです。 一方で、流れ出した溶岩などによって新たにできた陸地には、海鳥がとまって羽を休めたり、鳥のふんが付いている様子は確認できたものの、平らな場所はほとんどなく、巣などは確認できなかったということです。 川上主任研究員は「これから新たな陸地に生物が広がっていく際の、スタートとなるデータを取ることができて、非常に貴重な調査となった。今後は調査結果を元に生物の分布状況を調べ、生態系がどう広がっていくかや狭い陸地をどのように住みわけているかなどを明らかにしたい」と話していました。

調査に参加した東京大学地震研究所の前野深助教によりますと、今回の調査は島の西側の、元の島の陸地やその周辺で行われました。元の島の陸地の周辺には波によって砕かれたと見られる溶岩のかけらなどが多数、打ち上げられていて、元の陸地まで50メートルほどにわたって新たな海岸ができていました。 今回の噴火で流れ出した溶岩の厚みは、先端の部分で厚さが4メートルから5メートルほどあり、最も厚いところでは10メートル以上に達しているということです。 溶岩の先端では、海水に触れて急激に冷やされたことでできたと見られる、ガラス質を多く含んだ層が確認され、前野助教は活発に溶岩が流れ出していたことを示す痕跡だとしています。 海岸には500メートル以上離れた島の中央付近の火口から、噴火に伴って飛んできたと見られる直径50センチ

[16] 道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/tpr236_seihou/main2.html

2016/3/4 13:00 《現在地》

船を下りた者達の多くは、島の人が操縦する軽自動車にそれぞれ迎えられ、荷物と一緒に乗り込むと次々と港を離れていった。

その後も埠頭に残ったのは、船と船乗り、その船にフォークリフトで慌ただしく荷役を行う人々、そして、輪行袋から自転車を取り出して組み立てようとする“二人”であった。

写真を撮ることができる道とは違い、あまりはっきりとした記憶がないが、確かここで並んで自転車を組みながら言葉を交わしたのが、 猛悪!たんぽぽ団氏 (ツイッター: @siitake77712 ) との最初だった。互いの上陸目的などの込み入った話はしていない。本当にただこの島での境遇が妙に近い二人が、上陸を祝福し合っただけだった。しかし、彼が気持ちの良い人物であることを理解するには十分な時間であった。

上陸から8分後、私は4時間ぶりに愛車に跨がった。「お先に失礼します」と声をかけて、青ヶ島での記念すべき初漕ぎを果たした。

ちなみにここは九州の長崎辺りに匹敵する低緯度で、これほど南へ足を運んだのも初めてのことだ。3月の頭とはいえさすがに温和で、頬を撫でる程度の海風が涼やかで心地よい。廃道探索向きといえるほどの冬枯れがないことは既に八丈島で理解していたが、単純に自転車日和だと思う。

あおがしま丸が停泊している埠頭を振り返る。

伊豆諸島の他の島々にある埠頭は大型客船が接岸できるが、この港だけはそれができそうにもない短い埠頭である。

とはいえ、さっき海上から見た峻嶮な島の姿を思えば、これだけの平らな場所さえ、他にあるのか疑わしく思えてくる。少なくとも、海岸には他にこの広さの場所はなさそうだった。

そんなささやかな埠頭の広さをあざ笑うかのように広い海。

船の向こうに広がる南海には、真に全くいかなる島影も認められなかった。実際の伊豆諸島はまだ南にも連なっているが、そこに有人島はない。本土から連なる本諸島の島の頻度と大きさは、フィボナッチ数列的に暫減していて、南へ行くほど海が広い。次の有人島は小笠原諸島(父島)だが、さらに600km以上も離れていて果てしない。

聞くところによると、八丈島からはごく稀に本土(の富士山)が見えるのだという。しかし、青ヶ島からは見えたという話を聞かない。

だからこの辺りに本土との隔絶を示す一つの閾があると思うが、それでも青ヶ島

宮之浜園地

宮之浜園地

履歴

[22] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933229808

メモ